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5月17日(木)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 5月17日(木)08時50分1秒
返信・引用
  「わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。」黙示録3:15

日本人は和をもって貴しとする風潮があり、何事も旗色を鮮明にすることを避けます。信仰に対しても同じ態度をとろうとします。熱心に信仰を求めるより、つかず離れず中途半端な信仰に安住しようとします。しかしそれでは何も得ることができません。真剣に主を求め、一途に信じて神様により頼むなら、神様は真実な方ですから、必ずそれに応えてくださいます。(KE)
 

祈りの部屋の 御紹介

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月17日(木)00時12分2秒
返信・引用
  皆さん こんばんわ。。。。

祈りの課題のある方は 気軽に
☆祈りの部屋☆
http://8626.teacup.com/yohane/bbs に その祈りを 書き込んでください
そして
共に 祈りましょうね。。。
祈りは 「力」ですからね。 

http:// 

 

ああ憂鬱だな。。。。5月は

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月16日(水)14時47分52秒
返信・引用
  皆さん こんにちわ。。。。。
沖縄は 梅雨なので 雨ばかりです。。。。
なので
湿度が高く 除湿したり 換気しないと カビが 大量に発生します
だから
お部屋の掃除屋 カビの防除対策に 頑張っています
お風呂周りの清掃は 特に 頑張ってます
また
電気代が 気になりますが
夜の数時間だけ エアコンの除湿をかけています
早く 梅雨があけたらいいな。。。。。
それから
5月は
車二台の 税金も 支払わなければ いけないので
これも 憂鬱の原因です。
皆さんは
もう 支払われましたか?
☆カエサルのものはカエサルに☆ と 聖書にもありますように
世の権威に 従わないとね。。。。。(-_-;)うーーーん

さてと
今日は
介護の仕事が休みなので お部屋の掃除をします。
クリーナーかけたり いろいろなものの整理を しようかなっと
それから
清掃用具の メンテナンスも します。
それにしても
外は雨ばかりなので 洗濯物も 乾かないナット。。。。
わては 男ですが
洗濯 掃除 料理も できるときは するように してます
そんなわけで
雨にもかかわらず 洗濯物を 干していると
対面するアパートの 中年の男性の方も
せっせと
洗濯物を 干していらっしゃいました
今日は からっと乾かないでしょうが
それでも
あえて 干していますと
70パーセントくらいは 乾きますよ。
後は 室内で
エアコンの除湿をかけるか
扇風機の風をかけて
なんとか なるでしょう。。。。。。
やはり
世の中 男性も 色々されていますね。
プライドばかりでは 生きていけないからね。d(*^。^*)なんてね

http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月16日(水)13時08分49秒
返信・引用
  日々の聖句
2012.05.16
ルカによる福音書
◆「無くした銀貨」のたとえ
15:8 「あるいは、ドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚を
無くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れ
て捜さないだろうか。
15:9 そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くし
た銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう。
15:10 言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天
使たちの間に喜びがある。」
***
この女性がなくした銀貨は10枚で一セットになっていて、それを婚礼の
際に額に飾るためのものと言われています。ですから、そのうちの1枚が
なくなったとなると残りの銀貨だけでは使えないことになり、困るわけ
です。
必死になって探している様子が浮かんでくるようです。そして、イエス
様は、この銀貨を探す女性の姿と独り子を遣わしてでも失われた人を探
し出そうとしている神様の心をダブらせているのです。
そして、見つけ出した時の喜びが見事に書かれています。近所の人たち
と一緒に喜ぶほどの大きな喜びだったのです。
それは、私たちを見つけ出したときの神様の喜びの心でもあるのです。
祝福がありますように。


++

【空の中の真実:コヘレトの言葉】
6:10 これまでに存在したものは/すべて、名前を与えられている。人間
とは何ものなのかも知られている。自分より強いものを訴えることはで
きない。
6:11 言葉が多ければ空しさも増すものだ。人間にとって、それが何にな
ろう。
6:12 短く空しい人生の日々を、影のように過ごす人間にとって、幸福と
は何かを誰が知ろう。人間、その一生の後はどうなるのかを教えてくれ
るものは、太陽の下にはいない。
***
人間にとっての幸せとは何なのか?自分のことも、他人のことも、この
世のすべての事ごとについて「名前」で特定でき、名前と一緒に説明が
なされ、すべて知られてしまう。名もないほどの貧しい人たちでさえ、
実は名前を持っており、神はどんな小さな存在でもご存じです。
しかし、誰もが同じ生き方をしているわけではなく、だれもが同じこと
を考えたり、感じたりしているわけではないし、ましてや、死の先に何
が待っているのかというようなことについては、誰も確信をもって教え
られる人はいない。
存在は人にも神にも知られているのに、自分には明日のことがわからな
い、不安定な状況に陥りやすい私たちなのです。
コヘレトの溜息が聞こえてきそうな文章が続きます。
しかし、冷静に考えてみると、もし、本当に神に私たちの存在が知られ
ており、そしてもし神の愛の対象となっているなら、祝福は明確です。
ただ、もし、神の怒りの対象になっているとしたら、大問題ですね。
その辺の状況把握が必要です。
祝福がありますように。



    関根一夫







http:// 

 

今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月15日(火)23時58分21秒
返信・引用
  異邦の民の偶像は、銀や金で、人の手のわざです。口があっても語れず、目があっても見えません。耳があっても聞こえず、また、その口には息がありません。これを造る者もこれに信頼する者もみな、これと同じです。


     詩篇 135:15-18

http:// 

 

時代に 乗れていないネット環境の私

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月15日(火)20時57分55秒
返信・引用 編集済
  先日

妻と共に総合ショッピングセンターに 買い物に 行きまして
その中にある
auという 携帯電話のショップに 立ち寄る機会が ありました
そこに
ワイファイと言う なにか 聞きなれないシステムが ありまして
そこの 窓口の方に 色々 教えてもらいました。

ワイファイとは
携帯電話のような 受信機で 携帯電話の 通じるところなら
家庭で コードなしで 数台のパソコンまで
インターネットに つなげるシステムとの ことでした。
このタイプは 固定電話の回線は 不要です

私は
現在 電話のダイヤル回線を使い
しかも
ISDNという 化石みたいな 超遅い システムを使って
このインターネットを しています。。。。(-_-;)
だから
動画など 音声など クリアーに受診できない上に
すごく 時間がかかり
動画にいたっては ほぼ 受信不可能です。
だから
いつか これを 改善したく 思っているのです
私達夫婦は
アパートという 借家住まいです
だから
光ケーブルなどを 引き込んだら
もし 引っ越しとなったとき
また 面倒な 取り外し 取り付け
さらには パソコンのシステム調整 などが 待っています
だから
モバイルのように
無線で 簡単に インターネットが 出来るタイプを 願っています
私達夫婦は ギリギリの 生活をしてますが
ネットだけは 伝道ツールなので
これは
たとえ どういう状況に なっても
私は 継続する つもりです。



http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月15日(火)14時59分41秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.15
ルカによる福音書
◆「見失った羊」のたとえ
15:1 徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。
15:2 すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを
迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。
15:3 そこで、イエスは次のたとえを話された。
15:4 「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失
ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜
し回らないだろうか。
15:5 そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、
15:6 家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたの
で、一緒に喜んでください』と言うであろう。
15:7 言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改
める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」
****
ここでのイエス様に対する批判は、その寛大さに対するものでした。「あん
な罪びとたちなど放っておけばよいのだ」と宗教指導者たちは考えていまし
た。彼らは律法も守れず、神に赦されるはずも救われるはずもないのだから
と考えていたのです。
しかし、イエス様の見方は違いました。それらの人たちは、迷っている人た
ちであって、本来は神の家族に所属している人たちなのだという見方でした。
だから、自分のところで飼っている羊として探しに行くというたとえを話さ
れたのです。
迷う羊一頭のためにでも、何をさておいても探しに行く羊飼い。これはまさ
に神様の私たちに対する心の表明として理解される必要があります。迷子の
状態のまま放置されるのは、健全ではないし、神様の願っていることではな
いのです。イエス様が来てくださったのは、そういう私を救うため、そうい
うあなたを探し出すためでした。
祝福がありますように。

++


【空の中の真実:コヘレトの言葉】
6:7 人の労苦はすべて口のためだが/それでも食欲は満たされない。
6:8 賢者は愚者にまさる益を得ようか。人生の歩き方を知っていることが/
貧しい人に何かの益となろうか。
6:9 欲望が行きすぎるよりも/目の前に見えているものが良い。これまた空
しく、風を追うようなことだ。
****
働いても働いても不足があり、知的好奇心を満たすことはできても、それで
他者を益することは簡単ではありません。
人生は自分の糧を得ることができ、過度の期待をしすぎずに、しかし探究心
や好奇心を燃やしながら、他者のための祈り、そういう自分の人生を喜べた
ら、満足度が高くなるのでしょうね。
何によって「満ち足りた意識を伴う敬虔な心」を持てるようになるのか、そ
れが人生のチェックポイントなのかもしれません。
祝福がありますように。


     関根一夫








http:// 

 

今日の命の水

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月15日(火)14時56分18秒
返信・引用
  ☆ 今日のいのちの水 ☆ 2012年5月15日(火)☆

 ☆ すばらしい神様をほめます!ハレルヤ!☆
 ☆ 神は、あなたを愛し,
        あなたを喜ぶために造られた! ☆

「  まことに、【主】はこう仰せられる。『 バビロンに七十年の満ちるころ、
わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、
あなたがたをこの所に帰らせる。
わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。
──【主】の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、
あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、
わたしはあなたがたに聞こう。
もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、
わたしを見つけるだろう。わたしはあなたがたに見つけられる。
──【主】の御告げ──わたしは、あなたがたの繁栄を元どおりにし、
わたしがあなたがたを追い散らした先のすべての国々と、すべての場所から、
あなたがたを集める。──【主】の御告げ──わたしはあなたがたを
引いて行った先から、あなたがたをもとの所へ帰らせる。」
               エレミヤ29:10-14【新改訳3】

主の喜びが、あなたの上に注がれますように。(TH)

http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月15日(火)14時44分40秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.14

ルカによる福音書
◆塩気のなくなった塩
14:34 「確かに塩は良いものだ。だが、塩も塩気がなくなれば、その塩は何
によって味が付けられようか。
14:35 畑にも肥料にも、役立たず、外に投げ捨てられるだけだ。聞く耳のあ
る者は聞きなさい。」
++++
塩は生活の必需品であり、味付けのためにも、腐敗防止のためにも大事なも
のです。しかし、塩が塩気をなくしたら役に立たないものとなってしまいま
す。存在価値が実に乏しくなってしまいます。
一般的には、それは、「きよさや忠誠心」を失くしてしまうこととして理解
されています。神とのかかわりの中で養われる「清さや誠実に従う決意」「謙
遜と従順」などを放棄してしまうような生き方への警告です。
同時に、教えは知っているけれど、実際の生活にそれが生きていないという
状況のこととしても理解できます。塩であることには間違いないのですが、
その「塩が愚かにされてしまっている」というのが原語の訳です。つまり、
塩が塩であることを忘れてしまっているというのです。自分が主に愛され、
主に役割を託されていることを忘れてしまっているような生き方をしている
なら、結局役に立たなくなってしまうという警告です。心にしっかり覚えて
おきたい言葉です。
祝福がありますように。

++++

【空のなかの真実:コヘレトの言葉】

6:1 太陽の下に、次のような不幸があって、人間を大きく支配しているのを
わたしは見た。
6:2 ある人に神は富、財宝、名誉を与え、この人の望むところは何ひとつ欠
けていなかった。しかし神は、彼がそれを自ら享受することを許されなかっ
たので、他人がそれを得ることになった。これまた空しく、大いに不幸なこ
とだ。
6:3 人が百人の子を持ち、長寿を全うしたとする。しかし、長生きしながら、
財産に満足もせず/死んで葬儀もしてもらえなかったなら/流産の子の方が
好運だとわたしは言おう。
6:4 その子は空しく生まれ、闇の中に去り/その名は闇に隠される。
6:5 太陽の光を見ることも知ることもない。しかし、その子の方が安らかだ。
6:6 たとえ、千年の長寿を二度繰り返したとしても、幸福でなかったなら、
何になろう。すべてのものは同じひとつの所に行くのだから。
+++
この人の発想の中には天国とか地獄という発想はなく、死んだらみんな同じ
ところに行くという風に理解しています。旧約聖書ではそういう発想が強い
です。
さて、ここにも不幸な人の姿が出てきます。物質的には恵まれているのに、
満足できない人の姿です。
幸福は必ずしも持ち物と比例しませんね。長寿を誇り、リッチな生活をして
いても、その心には幸福感がないとしたら、感謝の心が失せてしまい、愛す
ることもできないとしたら、確かに辛い人生になると思います。感謝の心を
持ち続けることは、大事なことです。
生きているということにさえ感謝。これはとても幸せなことだと思います。
祝福がありますように。


     関根一夫

http:// 

 

5月15日(火)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 5月15日(火)10時54分21秒
返信・引用
  「主は彼の前を過ぎて宣べられた。『主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神、』」出エジプト34:6

聖書を通して語られる神様は戦好きな“軍神”ではなく、閻魔大王のような怖い神様でもありません。聖書は一貫して神様が私たちを愛しておられることを告白しています。まるで愛する恋人を慕うがごとく、“愛しているよ”と呼びかけておられます。その究極の愛を示したのがイエス様の十字架です。こんなにまで求めて下さる神様に無関心でいることができるでしょうか。(KE)
 

5月14日(月)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 5月14日(月)15時21分24秒
返信・引用
  「あなたは神と和らいで、平安を得るがよい。そうすれば幸福があなたに来るでしょう。」ヨブ22:21

幸福とは物質的な豊かさや境遇に恵まれることではありません。心の平安です。平安を得ようと富や権力、地位や名誉を求めますが、それでは決して心安らかになりません。心の安心は造り主なる神様との関係によって生まれます。自分を絶対的なものとする限り神様を認めることができず、常に苛立ち、焦り、不信感に囚われて不安に駆られます。神様は十字架を立てて、赦しの手を差し伸べておられます。悔い改めて主に帰りましょう。(KE)
 

今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月13日(日)19時16分5秒
返信・引用
  神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。


            第二コリント 9:8

http:// 

 

スウィーツバイブル  みのみの

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月13日(日)18時59分27秒
返信・引用
  こんにちは。
今日もスィーツな聖書のみことばをご一緒に味わい楽しみましょう。
今日の聖書箇所は、前回に引き続きローマの信徒への手紙10章1-2節です。


―――――――――――――― 今日のみことば ――――――――――――

10:1 兄弟たち、わたしは彼らが救われることを心から願い、彼らのために神に祈っています。
10:2 わたしは彼らが熱心に神に仕えていることを証ししますが、この熱心さは、正しい認識に基づくものではありません。


――――――――――――――今日のお勧め――――――――――――――

前回は1節、「兄弟たち、わたしは彼らが救われることを心から願い、彼らのために神に祈っています」というみことばから、パウロがどれだけ自分の同胞であるイスラエルの民のことを思っていたか、どういう思いで祈っていたかについて、ご一緒に学びました。

今日はそのイスラエルの民がどういう状態であったのか、パウロがそれ程までに彼らのことを思っていた理由についてを2節からご一緒に学ぶこととします。


2節をご覧下さい。
「わたしは彼らが熱心に神に仕えていることを証ししますが、この熱心さは、正しい認識に基づくものではありません。」

パウロはイスラエルの民のことを「熱心に神に仕えている」と語っています。そしてパウロ自身がそのことの証人であり、そのことを証しすると言っています。

イスラエルの民は本当に熱心ですね。彼らは熱心に神様にお仕えし、神様が彼らに与えられた律法を忠実に守ろうとしています。その熱心さはもの凄いです。
その中でもパリサイ派という派の人たちが熱心であったのですが、パウロもかつてパリサイ派のラビでした。だからパウロ自身が証人だと言ったのです。自分がかつてやってきたことなので、その熱心さのものすごさは自分自身がわかっていたのです。経験者ならではの彼らに対する思いなのです。

イスラエルの民は本当に熱心です。そのことをパウロは自分も経験したから重々承知し、そのことを認めています。しかし、その後、パウロは気になることを語っています。
「この熱心さは、正しい認識に基づくものではありません。」

パウロはイスラエルの民の熱心さは正しい認識に基づくものではないのだと語っているのです。本当にそうですか?
だって、ラビたちは聖書の専門家であり、今でいう旧約聖書の知識に長けていました。
それに彼らの礼拝も神様がモーセに命じられた方法に乗っ取って行っていたし、知識があるから熱心だったのです。決して勢いだけで行動していたのではありません。

これはどういう意味なのでしょうか?
新共同訳聖書では彼らの熱心について「正しい認識に基づくものではありません」と訳しています。
この「正しい認識」を口語訳聖書では「その熱心は深い知識によるものではない」と訳されています。
そして新改訳では「その熱心は知識に基づくものではありません」と訳しています。

3つの聖書の訳を比較すると、新改訳聖書の「知識」、新共同訳聖書の「正しい認識」、そして口語訳聖書の「深い知識」となっています。

新改訳聖書の「知識」では訳として不十分です。ここで言っている知識とは「正しい認識」であり、「深い知識」のことです。

この知識、ギリシャ語では「エピ・グノーシス」と言います。
グノーシスとは知識という意味です。グノーシス派という異端がパウロの時代からいますが、彼らは特別な知識を受けることが救いだと教える異端です。

しかしここで語られている知識はただのグノーシスではなく、「エピ・グノーシス」です。
この意味は部分的な知識ではなく、「充全の、完璧な知識」です。
ですから新改訳聖書の「知識」では訳としては不十分なのです。

つまり、イスラエルの民は確かに知識は持っていましたし熱心でした。しかしその知識は正しい、深い知識では無く、中途半端な知識だったのです。

ではどう中途半端だったのでしょうか?
それは「キリストにあって」神様を知ることが無かったということです。
彼らはイエス様を拒否し、イエス様を通して神様、つまり天のお父様を知ろうとしなかったのです。

聖書は一貫してイエス・キリストを指し示しています。旧約聖書において創世記1章において受肉前のイエス様が現われ、そしてアダムとエバが蛇に騙されて善悪知識を知る木の実を食べ、自分が裸であることを知り、彼らはイチジクの木の葉で腰を覆いました。それに対して神様は皮の衣を着せました。実はこの皮の衣、それがイエス様の十字架の型なのです。皮を作るには動物を裂く必要があります。そして血が流れます。つまり動物の犠牲によって出来たものです。神様は将来の十字架の救いをここで皮の衣という形で現わされたのです。

この様に聖書は一貫して救い主をこの地に送る、その救い主、つまりメシアはイスラエルの民の救いのために来られるのだと約束されています。だから最初イエス様はイスラエルの民のために働かれました。

しかし彼らはそのイエス様、つまり聖書を通して約束していた自分たちのメシアを拒否したのです。そのことをパウロは嘆いていたのです。

イスラエルの民は熱心でしたが、正しい熱心、正しい知識に基づくことではありませんでした。私たちはどうでしょうか?
彼らのことを決して笑うことは出来ないと思います。
もちろん聖書学者になるようにとか、そういうことを言っているのではありません。
案外聖書に基づかない、自分の頑張りによる熱心をしていたのではないでしょうか。
イエス様は私たちの内に住んでいてくださいます。そのイエス様に依り頼み、イエス様に導いて頂くのではなく、自分の考え、自分の思いで行動し、自分の理想を神様に求め、熱心に行動していないでしょうか?
どんなに熱心であってもイエス様に依り頼まない熱心はパウロがここで言っている「正しい、深い知識、認識に基づくことではない」ということです。

頑張りを卒業し、私たちの内にいますイエス様に信頼し、依り頼む信仰者として今日一歩踏み出しませんか?
その時、私たちは単なるグノーシスからエピ・グノーシスへと変えられます。
祝福を祈ります。キリストの愛を込めて。。。


★☆★☆★☆★☆

http:// 

 

礼拝説教

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月13日(日)18時28分26秒
返信・引用
  MACF礼拝説教要旨
2012.05.13


フィリピの信徒への手紙から2

「パウロの生き方」

1:21 わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。
++
パウロという人は不思議な人です。かつては、キリスト教徒を迫害し、ファ
リサイ派の指導者として有望な人でしたが、迫害に向かう途中で光の中のキ
リストと出会い、すっかり方向転換して、キリスト教徒となり、それどころ
か、キリストの福音とイエスこそキリストであるというメッセージを語る人
になったのですから。
この大転換は周囲の人を驚かせ、結果的には、ユダヤ人たちからも「裏切り
者」として憎まれ、クリスチャンたちからも「かつての迫害者」として恐れ
られることになりました。しかし、その生き方は峻烈でした。
牢の中にいながら、彼は「喜び」の手紙を書いていると前回学びましたが、
そればかりでなく、彼はますます「キリストこそ、わたしのすべてである」
という告白と、キリストに従って生きるようにという奨励を書いているので
す。

1)生きることはキリスト。
金太郎飴というのがありますが、イエス様に出会ってからのパウロの人生は、
どこを切っても「主キリストの赦し恵みの素晴らしさ」を伝えたい気持ちが
あふれています。どこにいても、何をしていても、彼はキリストの恵みの中
に生かされていることを感謝しているのです。自分がキリストのために有益
な生き方ができるなら、自分を通してキリストの素晴らしさが表現されるな
ら、それで大満足という生き方なのです。

2)キリストの模範:謙遜と従順
イエス様が神から遣わされ、従順に十字架の死にまで従ったという従順で謙
遜な生き方はパウロの心を捉え続けました。キリストを信じて心の中に新し
い基準をいただいた私たちにも、キリストの生き方に倣うようにと勧めてい
ます。パウロの生きる姿勢でもありました。「謙遜と従順」です。
2:5 互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられる
ものです。
2:6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執し
ようとは思わず、
2:7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられまし
た。人間の姿で現れ、
2:8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
2:9 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えに
なりました。
 この姿勢は神に対してばかりでなく、お互いに対してもこういう資質を身
に着けるべきだとパウロは勧めているのです。神に対しては謙遜、でも、人
に対しては高慢というのではまずいのです。私たちはどこにいても、「謙遜
と従順」を自分の中に保つ必要があります。それは努力によってではなく、
キリストによって生かされていると自覚しながら生きることによって整えら
れるのだと思います。主の前に謙遜な礼拝者として生きることで身について
くるものです。

3)まだまだこれから:目標を目指して、前向きに
3:12 わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となって
いるわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分
がキリスト・イエスに捕らえられているからです。
3:13 兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきこ
とはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、
3:14 神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るため
に、目標を目指してひたすら走ることです。
 パウロは、すでにたくさんの知識と経験を積んでいました。しかし、それ
でも、キリストを通してもたらされる神の恵みの内容を十分にはわかってい
ない、自分はまだ完成しているわけではないと知っていました。だからこそ、
前向きにひたすらにキリストを学びキリストに教えられつつ生きようとして
いたのです。何歳になっても、この姿勢を保てたら魅力的だと思います。自
分は完成からは程遠く、神の恵みはまだまだ十分にはわかっていないという
自覚を持ち、謙遜に、しかし真剣にそれを追い求める姿勢はとても大切です。
信仰的良心、学問的良心を磨きつつ、人格を恵みによって練り上げてもらう
ことについて、私たちは常に前向きに、しかも、新鮮に求めるものでありた
いと思います。パウロはまさに、そういう生き方をした人でした。フィリピ
の信徒への手紙にはそういうパウロの心情があふれています。
そしてこの生き方こそ、パウロの「心を守る」生き方だったのです。

祝福がありますように。


    関根一夫










http:// 

 

5月13日(日)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 5月13日(日)08時23分4秒
返信・引用
  「また、あなたがいだいている偽りのない信仰を思い起こしている。この信仰は、まずあなたの祖母ロイスとあなたの母ユニケとに宿ったものであったが、今あなたにも宿っていると、わたしは確信している。」Ⅱテモテ 1:5

 テモテはパウロの愛弟子ですが、彼の信仰は祖母と母から受け継いだものでした。子供を育てるとき、多大な影響を与える者は女性の養育者であると言うことができます。今日は「母の日」です。母親から受けたもの、また親として与えているものを振り返ってみてはいかがでしょうか。(KE)


 

ヤモリの多い 沖縄!

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月12日(土)22時29分58秒
返信・引用 編集済
  沖縄本島には とにかく いたるところに ヤモリがいます
今日 アパートの玄関先で 色々なものを 掃除してたら
大きな ヤモリがいて
それが ドアから 中に入り込みまして
それを 追い出そうと 躍起に なりました。
ヤモリは
夜など 鳥のような 鳴き声で 鳴きます
ほんとに 鳥と まちがいます。。。。。
私は ゴキブリとか ヤモリ クモ などは とても苦手で
こんなんがいると あわててしまいます。(>_<)
それで
今日も ヤモリを おそるおそる 探し出し
ほうきで あの世に 送ってあげました。
こんなんが もし 部屋にいると 私は ゆっくり寝ることもできません。
もう 必死でした。
まっ 皆さん そのときの 私の様子を 想像してください。
ゴキブリがいるときは
キンチョールを おもいっきり いると思う付近に かけます
妻は
臭いが。。。。とか 身体に。。。。とか いちいち 私に 難癖をつけますが
私にとっては
その ゴキブリの存在自体が
私の 精神面 に それ以上の 害が 有るんです。
ここら付近を 妻は 理解してくれていないので
キンチョールの噴射ひとつで 口げんかになる時があります。
うーーーん
わては 嫌なものは 嫌なんや (>_<)
そして
退治したのを 確認して
*主の平安*が 訪れるのであります。d(*^。^*)d ハレルヤ
 

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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月12日(土)14時08分35秒
返信・引用 編集済
  今日の聖句
2012.05.12

ルカによる福音書

◆弟子の条件
14:25 大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。
14:26 「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、
兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの
弟子ではありえない。
14:27 自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わた
しの弟子ではありえない。
14:28 あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な
費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。
14:29 そうしないと、土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あ
ざけって、
14:30 『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろ
う。
14:31 また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の
兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかど
うか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。
14:32 もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和
を求めるだろう。
14:33 だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたが
たのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」
+++++
弟子として歩むことの厳しさがここに求められています。家族への愛、自分
に対する愛よりもイエス様への愛を優先する姿勢、十字架を負うという姿勢、
自分の財産を捨てる覚悟など、それこそ、頑張りでは到底応答できない姿勢
がここには書かれています。きっと、こういう文章を読むと不安になって、
自分は救われないのではないかと悩む人もあるかもしれませんね。
キリストを主、救い主として受け入れ、信頼し救いを得るということと、弟
子として歩むという出来事は別のことだと思います。弟子となれるかなれな
いかには関係なく、救いは十字架と復活の出来事によってもたらされていま
す。ですから、救いについては心配は不要です。
イエス様は12弟子をお選びになりました。弟子として選ばれている人たちは、
応答すべきです。
ある人は、こういう生き方を提示され、ある人は社会で普通に生きるように
召されていると思います。
主が選んでくださったのであれば、その道を生き抜く力も与えてくださいま
す。救われる人たちは多いのですが、弟子となって働き手として仕える人は
多くありません。ただ、弟子の心で生きるようにと、聖霊はイエス様を信じ
る者の中にそういう意欲を育ててくだいます。礼拝の際には、各自が、こう
いう意識で主の前に立っているのです。
祝福がありますように。
++++


【空のなかの真実:コヘレトの言葉】

5:14 人は、裸で母の胎を出たように、裸で帰る。来た時の姿で、行くのだ。
労苦の結果を何ひとつ持って行くわけではない。
5:15 これまた、大いに不幸なことだ。来た時と同じように、行かざるをえな
い。風を追って労苦して、何になろうか。
5:16 その一生の間、食べることさえ闇の中。悩み、患い、怒りは尽きない。
5:17 見よ、わたしの見たことはこうだ。神に与えられた短い人生の日々に、
飲み食いし、太陽の下で労苦した結果のすべてに満足することこそ、幸福で
良いことだ。それが人の受けるべき分だ。
5:18 神から富や財宝をいただいた人は皆、それを享受し、自らの分をわきま
え、その労苦の結果を楽しむように定められている。これは神の賜物なのだ。
5:19 彼はその人生の日々をあまり思い返すこともない。神がその心に喜びを
与えられるのだから。
+++
今生かされていることを感謝し、今与えられているものを感謝し、喜びの心
を表明しつつ生きること、礼拝しながら生きることこそ、人生の幸福につな
がるとコヘレトは感じています。
人生は短く、悩みも多いのですが、その間、投げやりにならず、結果を受け
止め、自分を受け入れ、神の配慮を信じて感謝することを覚えること、それ
ってとても大切な人間の道です。
人は裸で母の胎を出たように、裸で帰るのです。どんなに財を持っていても、
有名でも同じです。
厳粛な事実です。
この日、この日を丁寧に生き、喜びや感謝を神にも人にも表明しながら、生
きましょう。
祝福がありますように。










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Re: mariさんのアップされた下記の聖句は。。。。

 投稿者:mari  投稿日:2012年 5月12日(土)11時48分3秒
返信・引用
  > No.15425[元記事へ]

ヨハネの洋チャンさんへのお返事です。

「み言葉にはあなた方の魂を救う力がある」
とありますが まさにみ言葉に励まされて歩んでいられるのですね
見習いたいものです。
すぐに 自分本位 自分の感情に押し流され
自分中心に歩んでいます。

反省しなければ、、、<(_ _)>
 

5月12日(土)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 5月12日(土)11時38分13秒
返信・引用
  「ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。」Ⅱペテロ3:9

 神様の本意は人を裁き、滅びに陥れることではなく、なんとしても滅びる者がないようにとのことです。そのために最後の審判と言われる終末を遅らせておられるのです。その間に様々な事を通して神様に立ち返り、悔い改めて救われることを願っておられるのです。神様のみ思いを知って、新しい命に生きる者となり、滅び行く魂のためにとりなしてください。(KE)
 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月11日(金)10時21分8秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.11

ルカによる福音書
◆「大宴会」のたとえ
14:15 食事を共にしていた客の一人は、これを聞いてイエスに、「神の国で
食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と言った。
14:16 そこで、イエスは言われた。「ある人が盛大な宴会を催そうとして、
大勢の人を招き、
14:17 宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう用
意ができましたから、おいでください』と言わせた。
14:18 すると皆、次々に断った。最初の人は、『畑を買ったので、見に行か
ねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。
14:19 ほかの人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くとこ
ろです。どうか、失礼させてください』と言った。
14:20 また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』
と言った。
14:21 僕は帰って、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、
僕に言った。『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な
人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。』
14:22 やがて、僕が、『御主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席
があります』と言うと、
14:23 主人は言った。『通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来
て、この家をいっぱいにしてくれ。
14:24 言っておくが、あの招かれた人たちの中で、わたしの食事を味わう者
は一人もいない。』」
+++
「神の国で食事をする人は、何と幸いなことでしょう」と自画自賛する客に
対してイエス様はたとえを話されました。その話では、盛大な宴会に招待さ
れた人たちにしもべが迎えに行くと、次々に言い訳とともに断られます。つ
まり、その場に及んで、それぞれに宴会よりも重要案件を口実に宴会出席を
拒否するのです。これはあたかも、イエス様に対する信頼を否定するユダヤ
教指導者たちの姿と重なります。

主人は怒って、しもべたちに「急いで町に出て行き決して普通は招かれない
と思われる人たちを集めてくるように」と命じます。その結果、最初に招か
れていた人たちは決して宴会には招かれず、食事を味わうことのできる人も
いないというのです。イエス様の福音を受け入れた人たちは、どちらかとい
えば当時の社会の底辺にいた名もなく、貧しい人たちでした。
神の国での食事への招きとは、イエス様を救い主として信じることへの招き
なのです。
言い訳せずに、先延ばしせずに、信じることができますように。
祝福があるよう、心からお祈りします。


    関根一夫


http:// 

 

mariさんのアップされた下記の聖句は。。。。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月10日(木)23時05分17秒
返信・引用
  mariさんが アップされた 下記の聖句は

私が 沖縄に移住する時 特に 励まされた 聖句で

何回も この箇所を 読みました。

そして 決心をして
一度も 行ったことのなかった
この沖縄本島に ぶっつけ本番で 行きました。
故郷の 私の店を 閉店して 勇気を持って。。。。。
不安もありましたが
この聖句が 私に 勇気を与えてくれました。感謝

http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月10日(木)22時59分5秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.10

ルカによる福音書
◆客と招待する者への教訓
14:7 イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえ
を話された。
14:8 「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の
高い人が招かれており、
14:9 あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と
言うかもしれない。そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。
14:10 招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あな
たを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。
そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。
14:11 だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
14:12 また、イエスは招いてくれた人にも言われた。「昼食や夕食の会を催
すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。
その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。
14:13 宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自
由な人、目の見えない人を招きなさい。
14:14 そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。
正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」
*****
社会生活上、高ぶった態度で人に接することがないようにという警告が書か
れています。もし招待してくれた人が上席にどうぞと言ってくれるのであれ
ば、良いけれど、そうでないときには末席に座るようにという勧めです。当
時の宗教指導者たちは、きっと好んで上席を自ら選んでいたのかもしれませ
ん。そういう心をイエス様は戒めています。
また宴会を催すときにはお返しの出来ない人たちを選びなさいと勧めていま
す。
心の高ぶりが、神の前にどれほど醜いものなのか、伝わってきます。
そういう姿勢で生きられますように。
祝福を心からお祈りします。



+++


【空のなかの真実:コヘレトの言葉】

5:7 貧しい人が虐げられていることや、不正な裁き、正義の欠如などがこの
国にあるのを見ても、驚くな。なぜなら/身分の高い者が、身分の高い者を
かばい/更に身分の高い者が両者をかばうのだから。
5:8 何にもまして国にとって益となるのは/王が耕地を大切にすること。
++++
不正や搾取が横行している国では一般人は、虐げられ、生活は苦しくなる一
方ですが、これはいつの時代にもあったことのようです。
王が、耕地を大切にするなら、農夫は仕事ができ、また、収益を上げ、食べ
るための穀物を手に入れることができるので、かろうじて生活することがで
きるようになります。その耕地さえも大切にできないようだと国はますます
疲弊することになります。
「耕地あっての国」という原則は、現代日本においては見直されるべき重要
な課題だと思います。すべての人が農夫ではありませんが、すべての人が何
かを食して生きているからです。
「腹がへっては戦はできぬ」とのことわざ通り「食物の自給率低下」は国民
にとって、楽観視できない深刻な出来事です。
祝福がありますように。

関根一夫






http:// 

 

5月10日(木)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 5月10日(木)08時49分53秒
返信・引用
  「信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。」ヘブル11:8

アブラハムは信仰の父と呼ばれる人物ですが、そうなったのはただ一つ、神様の約束を信じ続けたことに尽きます。置かれた境遇、与えられた条件など、どれを見ても神様の約束が果たされるとは全く思われないなかで、約束の言葉を信じたのです。世に残す大事業をしたわけではなく、ただ神様を信じ続けるだけの生涯ですが、それを神様は喜んでくださったのです。(KE)
 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 9日(水)13時05分52秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.09

ルカによる福音書
◆安息日に水腫の人をいやす
14:1 安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の
家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。
14:2 そのとき、イエスの前に水腫を患っている人がいた。
14:3 そこで、イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた。
「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」
14:4 彼らは黙っていた。すると、イエスは病人の手を取り、病気をいやして
お帰しになった。
14:5 そして、言われた。「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ち
たら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」
14:6 彼らは、これに対して答えることができなかった。
+++
安息日のさまざまな規定が何と人を不自由にし、神の愛の実践を妨げている
か、イエス様はこの箇所の中で示しておられます。もともとの安息日の規定
がどんどん細分化されて、本当に小さな動きさえも規定されることになって
いたのです。
神の愛が示される、人のいのちが助けられるのに、それを禁止するような特
別な日があってはならないのです。神は毎日、愛をもって私たちに迫ってお
られます。それには定休日はないのです。
祝福がありますように。

+++


【空のなかの真実:コヘレトの言葉】

5:1 焦って口を開き、心せいて/神の前に言葉を出そうとするな。神は天に
いまし、あなたは地上にいる。言葉数を少なくせよ。
5:2 夢を見るのは悩みごとが多いから。愚者の声と知れるのは口数が多いか
ら。
5:3 神に願をかけたら/誓いを果たすのを遅らせてはならない。愚か者は神
に喜ばれない。願をかけたら、誓いを果たせ。
5:4 願をかけておきながら誓いを果たさないなら/願をかけないほうがよい。
5:5 口が身を滅ぼすことにならないように。使者に「あれは間違いでした」
などと言うな。神はその声を聞いて怒り/あなたの手の業を滅ぼされるであ
ろう。
5:6 夢や空想が多いと饒舌になる。神を畏れ敬え。
++
言葉数が多いとどうしてもそれによる失敗も増えていきます。また、あせっ
て口を開くと同じようにとんでもない約束を口走ったりすることがあります。
言葉数を減らし、つまり、語る前に良く考え、吟味し、それから約束をすべ
きですね。これはもう人事ではなく、自分のこととして心に留めなければな
りません。
「口が身を滅ぼすことにならないように」振り返ると、失敗は大体、この辺
から始まっています。
気をつけたいですね。
祝福がありますように。


   関根一夫





http:// 

 

5月9日(水)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 5月 9日(水)09時13分45秒
返信・引用
  「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」詩篇119:71

苦しみなど艱難にあうことは不幸なことで、人生にとってマイナスだと思いがちです。だから、良い事だと言われると意外な驚きです。しかし、そう言えるには理由があります。艱難や試練を通して、神様を知り、み心を悟るからです。不幸な目にあうと、人は謙虚になり、自分の力の限界、弱さを知ります。またそのような境遇でなければ得られない世界があります。(KE)
 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 8日(火)21時33分13秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.08

ルカによる福音書
◆エルサレムのために嘆く
13:31 ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエ
スに言った。「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとして
います。」
13:32 イエスは言われた。「行って、あの狐に、『今日も明日も、悪霊を追
い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝え
なさい。
13:33 だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばなら
ない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。
13:34 エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々
を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の
子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。
13:35 見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、『主
の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決し
てわたしを見ることがない。」
+++
イエス様の断固とした使命を完遂する生き方が浮き彫りにされています。同
時にエルサレム、そしてそこにいる指導者や民衆のために嘆いている姿が描
かれています。神様は人をお救いになる際に、無理に人の心を力ずくで捻じ
曲げて立ち返らせようとなさいません。イエス様が涙するほどの頑固な集団
がそこには存在し、厳しい反発がそこにはありました。それでもなお、救い
主は前に進み、自分の命をかけて神の愛と赦しとを宣言するために十字架に
向かう必要がありました。その頑固な反発のゆえに彼らは神様から見捨てら
れるとさえイエス様は語りました。そういう切迫感をイエス様はお持ちです
が、当事者たちはまったくそういう風には考えていませんでした。ここに何
ともいえない人間の愚かさを感じます。
主は、そういう愚かさをもった私たちのためにも、泣かれました。
祝福がありますように。

+++


【空のなかの真実:コヘレトの言葉】
4:13 貧しくても利口な少年の方が/老いて愚かになり/忠告を入れなくなっ
た王よりも良い。
4:14 捕われの身分に生まれても王となる者があり/王家に生まれながら、卑
しくなる者がある。
4:15 太陽の下、命あるもの皆が/代わって立ったこの少年に味方するのを/
わたしは見た。
4:16 民は限りなく続く。先立つ代にも、また後に来る代にも/この少年につ
いて喜び祝う者はない。これまた空しく、風を追うようなことだ。
4:17 神殿に通う足を慎むがよい。悪いことをしても自覚しないような愚か者
は/供え物をするよりも、聞き従う方がよい。
+++++
聞き従うこと、忠告に耳を傾けることは、年齢とともに難しくなっていきま
すが、それをきちんと注意している文章です。
そして若者が年寄りに代わり、出身がどこであれ、知恵ある若者が台頭して
くる様子が描かれています。実に晴れやかな、実に麗しい出来事です。しか
し、残念ながら、そういう人気がいつまでも続くわけではありません。民の
心は、実際のところあてにはできません。どんなことがきっかけで反旗を翻
すようになるかわからないからです。民意と言いますが、どんなときでも常
に公正ということはないように思います。やっぱり、踊らされ、操作されて
いる面と、気まぐれな面がありますね。
各自がしっかり心の土台をみ言葉の上に据える作業がとても大事なことなの
です。
祝福がありますように。


  関根一夫






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竜巻被害

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 8日(火)15時35分3秒
返信・引用
  さっき テレビニュースで
この 竜巻のことを 取り上げていました
なにか
東北大震災を 髣髴させるものが ありますよね。
東北大震災の津波被害では
家の下が 被害を 特に 多く受けてあられましたが
今回の 竜巻の被害では
家の上の方に 。。。というか屋根中心に
被害が 集中しているのですね
もちろん
家全体が 吹き飛ばされた人も いますが
また
町並みも ひどくやられていましたね
更に 電柱とかも へし折れていました
今回の 竜巻は
これまた 記録的な 大型のようで
まるで
アメリカの竜巻のシーンのようでした
特に
東北大震災の時と同じく
家財道具 家自体を 車を 破壊されて
これから先の 生活を 心配されている人たちが
泣き崩れてあられました
ほんとに 辛いよね
特に
高齢者の家の倒壊は 身につまされました
年老いた方たちが 呆然とされてあられました
つつましく暮らし 余力もないのに
これから先を 一体どうすればいいのかと 言われてある状態は
とても 悲しかったですね。
更に
福島から ここに 避難されていた方たちも 居たようで
震災の被害 原発の被害 を 受け
更に ここでは 竜巻の被害にと。。。。。
どうして こんな目に あうのかと 嘆いておられました。
また
ローンの支払いが数十年残っている状態で 家の倒壊をした人は
泣くにも 泣けませんよね。
どうしようかと 悩まれて ありましたよ。
やはり
ここでも 国の対応が 問われますよね。
二重ローンの対策とか
保険の すみやかな 支払いとか
国からの経済的援助とか
人的支援とか
速やかに 実施されることを 願いました
これから先
時間が立つごとに
被害の実態が あらわになり
各種の 問題も 発生することと 思います。
なにか
このところ 地球的規模で
気象の異常が
記録的な 災害が 多発していて
なにかしら 不気味に 感じることも あります。

http:// 

 

5月8日(火)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 5月 8日(火)09時33分23秒
返信・引用 編集済
  「わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。」エペソ2:10

 そもそも人は神様に造られたものであったのですが、造物主の意図に反して堕落し、制作者の面目を失わせてしまったのです。神様は古いものを全て取り払い新しいものを作ろうとなさいました。イエス様の十字架とよみがえりを信じて生きるとき、その人は神様の新しい作品となるのです。新創造の目的は創造者である神様の栄光を輝かせることです。神様のみ心に従って生きることが、主の喜ばれることです。(KE)
 

たすくさんが 結婚されたとか。。。。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 7日(月)23時13分30秒
返信・引用
  皆さん こんにちわ

輝きの求道者さんからの 情報で

*たすくさん* が 結婚されてあるとのことでしたよ。

ほんとに よかったと 思いました。
奥様は どんな方なのかな。。。。。。(#^.^#)とにかく よかった。
めでたいですね。

主にハレルヤです♪

http:// 

 

今日の命の水

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 7日(月)10時55分42秒
返信・引用
  ☆ 今日のいのちの水 ☆ 2012年5月7日(月)☆

 ☆ すばらしい神様をほめます!ハレルヤ!☆
 ☆ 神は、あなたを愛し,
        あなたを喜ぶために造られた! ☆

「 【主】を恐れる人々よ。主を賛美せよ。ヤコブのすべてのすえよ。
主をあがめよ。イスラエルのすべてのすえよ。主の前におののけ。
まことに、主は悩む者の悩みをさげすむことなく、いとうことなく、
御顔を隠されもしなかった。むしろ、
彼が助けを叫び求めたとき、聞いてくださった。
大会衆の中での私の賛美はあなたからのものです。
私は主を恐れる人々の前で私の誓いを果たします。
悩む者は、食べて、満ち足り、主を尋ね求める人々は、
【主】を賛美しましょう。あなたがたの心が、いつまでも生きるように。
地の果て果てもみな、思い起こし、【主】に帰って来るでしょう。
また、国々の民もみな、あなたの御前で伏し拝みましょう。
まことに、王権は【主】のもの。主は、国々を統べ治めておられる。
地の裕福な者もみな、食べて、伏し拝み、ちりに下る者もみな、
主の御前に、ひれ伏す。おのれのいのちを保つことのできない人も。
子孫たちも主に仕え、主のことが、次の世代に語り告げられよう。
彼らは来て、主のなされた義を、生まれてくる民に告げ知らせよう。」
            詩編22:23-31【新改訳3】

主の喜びが、あなたの上に注がれますように。(TH)

http:// 

 

5月7日(月)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 5月 7日(月)10時20分49秒
返信・引用
  「わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。」Ⅱコリント5:1

私たちの地上での生活は一時的なものであって、旅先にあるようなものです。“幕屋”とはテントのこと、仮設の住まいです。そこにいつまでも滞在するものではありません。必ず帰るべき永遠の住まいがあります。そこは私たちの故郷であり、神様によって備えられた建物があります。そこが私たちの旅の目的地、ゴールです。(KE)
 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 7日(月)10時09分52秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.07

ルカによる福音書
◆狭い戸口
13:22 イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでお
られた。
13:23 すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。
イエスは一同に言われた。
13:24 「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとして
も入れない人が多いのだ。
13:25 家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがた
が外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、『お
前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。
13:26 そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、
また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言いだすだろう。
13:27 しかし主人は、『お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、
皆わたしから立ち去れ』と言うだろう。
13:28 あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが
神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣き
わめいて歯ぎしりする。
13:29 そして人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会
の席に着く。
13:30 そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。」
*******
神様の計画にはタイムリミットが設けられています。これはすべての人に訪
れる「死」を区切りと考えるとわかりやすいかもしれません。死の前に決め
なければならないことがあるということです。また、どんなに楽しい交わり
の時を持ち、教えの場に参加したことがあっても、「狭い戸口から入る」と
いう出来事を通過していないと最終的には否定されてしまうとイエス様は警
告なさいました。
狭い戸口から入るとは、「個人個人が自分の問題として救いを求める意識を
持つ」と考えることが出来ると思います。みんなと一緒に楽しむことが悪い
わけではありません。でも、神様からの「救い」を受け取る場合には「みん
なと一緒」という側面よりも「自分と神」という関係を重視していく必要が
あるのです。
「主よ、この私に救いが必要です」という自覚と信仰による求めが大切なの
です。プライドが砕かれる出来事でもあります。でも、そこが大事な鍵なの
です。広い戸口を行くなら、プライドが砕かれることはないのですが、イエ
ス様は、あえて狭い戸口を勧めています。
祝福がありますように。


+++

【空のなかの真実:コヘレトの言葉】
4:8 ひとりの男があった。友も息子も兄弟もない。際限もなく労苦し、彼の
目は富に飽くことがない。「自分の魂に快いものを欠いてまで/誰のために
労苦するのか」と思いもしない。これまた空しく、不幸なことだ。
4:9 ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い。
4:10 倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友の
ない人は不幸だ。
4:11 更に、ふたりで寝れば暖かいが/ひとりでどうして暖まれようか。
4:12 ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する。三つよりの糸は切れに
くい。
+++
独りよがりな男の空しさが語られ、ひとりより、ふたりのほうが良いと著者
は結論づけています。
人間は誰かと関わりながら、誰かと絆を結びながら生きないと、人間らしさ
を保つことは難しいのです。創世記の2章にある言葉を思い出します。「 2:
18 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者
を造ろう。」
夫婦であれ、親子、兄弟、友人、仲間、いろいろなかかわりがありますが、
それぞれ意味深い、関係であり、有益です。必ずしもそれらの関係を維持す
ることは容易ではありませんが、誰かと一緒に、誰かを大切にしながら生き
ることは自分の人生も相手人生も豊かにする生き方なのです。
祝福がありますように。









http:// 

 

今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 6日(日)18時34分44秒
返信・引用
  悪はどんな悪でも避けなさい。

   第一テサロニケ 5:22

http:// 

 

カモミールさんへ(竜巻発生の件)

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 6日(日)18時24分10秒
返信・引用 編集済
  カモミールさん こんにちわ
ヨシュアのホームページでは いつもお世話になっています
もし ここも ロムされて有られましたら。。。。。。。

さっき
パソコンを見ていたら ヤフーニュースで

茨城県の *つくば* という地域の近辺で 「竜巻」が発生し
沢山の家屋が 倒壊し 被害が 多かったもようですが
カモミールさんのところに
被害が 無いことを 祈りました。


ー下記のお写真はー
私の住んでいる アパートにて
ガーデニングを している風景です。
こんなところで お花いじりをしている 私であります。
いつか ささやかな 土地と 中古のプレハブでもいいので 持ちたい
現在の状況では 夢のまた夢
後は 神様頼みです。

http:// 

 

礼拝説教要旨

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 6日(日)14時47分6秒
返信・引用
  MACF礼拝説教要旨
                              2012/05/06

フィリピの信徒への手紙その1
「パウロの喜び」
++
フィリピの信徒への手紙はパウロによる「獄中書簡」と呼ばれている手
紙のひとつです。獄中書簡は他に「エフェソの信徒への手紙」「コロサ
イの信徒への手紙」があります。
パウロにとってフィリピの教会の創設は大変興味深い出来事でした。使
徒16章にそのいきさつが書かれています。パウロは、シラス、テモテ、
ルカと共に、第2回伝道旅行の際にこの町に短期間滞在しました。その期
間に紫布の商人リディアとその家族が信者となり、その後パウロらが占
いの霊につかれた女奴隷のいやしの事件で投獄されるのですが、夜中の
地震のあと、看守とその家族も救われることとなりました。「主イエス
を信じなさい。そうすればあなたも、あなたの家族も救われます」とい
う有名な言葉がその時に語られます。こうしてフィリピ教会は誕生した
のです。フィリピ教会はヨーロッパで最初に出来た教会の一つでありま
した。
さて、この手紙は獄中で書かれたにも関わらず、「喜びの手紙」と呼ば
れています。今日は、パウロにとっての喜びとは何だったのか、彼が何
を喜んでいたのかを学びましょう。要旨だけ書き出してみます。

1)彼らの存在・信仰の保持と絆の深まり

パウロはフィリピの人たちが貧しさの中にありながら、信仰をしっかり
保っていることを心から感謝し、喜んでいます。1:3-6 2:17参照
さらに、彼らがパウロとの絆をしっかり継続しており、彼が獄中にいる
ことを聞いて心配し、贈り物を届けてくれた、愛の行為についてパウロ
は大いに喜んでいます。4:10-20参照
貧しいフィリピの人たちからの獄中への贈り物はきっとパウロの心を励
ましたと思います。目を輝かせ、心をワクワクさせながらこの手紙を書
いている様子が浮かぶようです。

2)パウロの現状認識と現状受容

パウロは投獄されていますから、状況的に厳しいはずです。それこそい
つ処刑されるかわからないような緊張感の中にいるのです。しかし、彼
はそういう状況の中でも大いに喜んでいます。
それは、彼の牢にいることが、福音の前進に役だっていると彼が感じて
いるからです。自分が投獄されたことで看守たちが福音に興味を持ち、
また、残された信徒リーダーたちが自分たちで福音を語らなければと自
覚していることを知り、パウロは感謝し、喜んでいるのです。
自分が企画し、自分で活動し、自分で評価を受けるという一般的な活動
とは全く別な価値基準がここにあります。自分は動けず、自分は語れず、
自分は不自由な貧しい状況の中にいるにもかかわらず、他の人が活躍し、
他の人が評価を受けるということについてパウロは、それを喜ぶ心を持
っているのです。

3)喜びへの勧め

4:4 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。
4:5 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はす
ぐ近くにおられます。
4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込
めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
4:7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と
考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
喜びを妨げるものは「思い煩い」です。それを神に知ってもらうことで
心を軽くされ、神の平安を受け取ることが勧められています。

喜ぶ人になりたいですね。自分のことも、他者のことも。厳しい現状さ
えも。
祝福がありますように。


    関根一夫







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5月6日(日)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 5月 6日(日)08時44分26秒
返信・引用
  「あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。」Ⅰコリント12:27

イエス様に救われた者たちは“キリストのからだ”というべき集合体の一員となったのです。からだには様々な働きをする肢体が備わっています。それぞれの役割、かたち、部位は全く違いますが、一つでも欠ければからだ全体が不調になります。救われた者たちも決して同じものはありません。比較したり、優劣を競うのは無意味です。それぞれが与えられた賜物を感謝して、主に喜ばれることを努めようではありませんか。(KE)
 

今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 5日(土)16時31分43秒
返信・引用
  私には、あなたの戒めがあるので、わきまえがあります。それゆえ、私は偽りの道をことごとく憎みます。


                         詩篇 119:104

http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 5日(土)15時32分5秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.05

ルカによる福音書
◆「からし種」と「パン種」のたとえ
13:18 そこで、イエスは言われた。「神の国は何に似ているか。何にたとえ
ようか。
13:19 それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長し
て木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。」
13:20 また言われた。「神の国を何にたとえようか。
13:21 パン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やが
て全体が膨れる。」
****
からし種は、粒々のとても小さな種です。でも、それを蒔いて成長させると
とても大きな木になります。
パン種もパンをふくらませ、それによってパンらしく見えてきます。インド
カレーのとき食べるナンには、パン種は入っていません。
イエス様は、からし種とパン種を「神の国の拡大、ひろがり」に例えて語り
ました。それらは始まりは小さなものですが、いつの間にか大きくなり、拡
大し、膨張していくものとして神の国、神の恵みの支配による神の心の充満
を教えています。
最初は、神を自分の幸福のために利用していたような気持ちが、いつの間に
か神を礼拝する、つまり神のしもべとして生きることを喜びとするように変
化していくのですから、その支配の拡大は絶大です。
誰の心の中にもみことばの種が蒔かれると、そういう変化がもたらされます。
祝福がありますように。


+++


【空のなかの真実:コヘレトの言葉】
4:1 わたしは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た。見よ、虐げ
られる人の涙を。彼らを慰める者はない。見よ、虐げる者の手にある力を。
彼らを慰める者はない。
4:2 既に死んだ人を、幸いだと言おう。更に生きて行かなければならない人
よりは幸いだ。
4:3 いや、その両者よりも幸福なのは、生まれて来なかった者だ。太陽の下
に起こる悪い業を見ていないのだから。
***
大きな災害や、さまざまな国の動乱、クーデターとその背後の民の苦難をニ
ュースで見たりすると、本当に慰めようもないほどの状況に言葉も出なくな
るような気持ちにさせられます。
生きていくことのなんと厳しく辛いことか。著者はここで、生まれてこなか
った者はそれらの悲劇を見ていないのだから、幸いだとさえ言います。
しかし、生きている今こそ現実であり、慰めも不足している状況こそが今日
なのだという人々が大勢います。
私は、そういう方々を励ます言葉がわかりません。「あなたが語る、『慰め
がありますように』などという言葉は、災難を受け入れる心の準備も出来て
いない被災者や被害者の方々にとっては、他人行儀で、とても冷たい、切り
離され、追いやられるような言葉と感じるのではないかと諌められたことが
ありました。そうかもしれません。
でも、「わたしの代わりにそこを通過してくれてありがとう」とつぶやきた
くなることがあります。何の関連もないようなその人の生き方や存在が、実
は深いところで関わっていることを感じるのです。つまり、その場に私が居
合わせる可能性はゼロじゃないんだよなと思うわけです。人は両親を選べま
せんから、私があの地域のあの人だった可能性はどこかにあるわけです。
人生は難しいものですね。
幸せな心が今日、もたらされますように。


   関根一夫







http:// 

 

5月5日(土)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 5月 5日(土)08時29分17秒
返信・引用
  「悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう。」詩篇50:15

 神様は幸いばかりでなく、災いや悩みも与えられます。そうでもしなければ、人が神様を求めようとしないことを知っています。少しでも神様に近づき、呼び求めることを主は喜ばれるのです。しかも、ご自分の栄誉のために私たちを助けたいのです。私たちが助けを得て、喜び、感謝して、神様をあがめる者となる。それが神様の願いです。だから、神様は私たちの祈りと願いに必ず答えてくださいます。(KE)
 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 4日(金)23時00分37秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.05.04
ルカによる福音書
◆安息日に、腰の曲がった婦人をいやす
13:10 安息日に、イエスはある会堂で教えておられた。
13:11 そこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。腰が曲がっ
たまま、どうしても伸ばすことができなかった。
13:12 イエスはその女を見て呼び寄せ、「婦人よ、病気は治った」と言って、
13:13 その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神
を賛美した。
13:14 ところが会堂長は、イエスが安息日に病人をいやされたことに腹を立
て、群衆に言った。「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうが
よい。安息日はいけない。」
13:15 しかし、主は彼に答えて言われた。「偽善者たちよ、あなたたちはだ
れでも、安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行
くではないか。
13:16 この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていた
のだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」
13:17 こう言われると、反対者は皆恥じ入ったが、群衆はこぞって、イエス
がなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。
+++++
安息日に「して良いこと」と、「すべきでないこと」がありました。それが
厳格に守られていることこそ「神への信仰深さ」と理解されていました。イ
エス様をとがめた会堂長は、イエス様が女性の上に「手を置いた」という行
為を安息日規定に違反していると責めたのです。それにしても、人が癒され
るのを見て「立腹」しているのはなぜなのでしょう。人の健康が回復するこ
とより、規則が守られることのほうが大事なのでしょうね。イエス様は、牛
やロバのためにさえ安息日に水を飲ませるために引いていくことはするのに、
アブラハムの娘、つまり信仰者で、不治の病にかかって18年も苦しんでいた
この人を解放し、命をもたらすことが悪いはずがないと教えたのです。愛の
ない律法主義集団の心の狭さが浮き彫りにされています。
しかし、こういう律法主義的傾向は私たちの身近なところにも案外入り込ん
できていないでしょうか。
人を愛し、人を生かすことよりも、厳格に規則を守ることを優先させるよう
な心は育っていないでしょうか。
祝福がありますように。

++

【空のなかの真実:コヘレトの言葉】
3:16 太陽の下、更にわたしは見た。裁きの座に悪が、正義の座に悪があるの
を。
3:17 わたしはこうつぶやいた。正義を行う人も悪人も神は裁かれる。すべて
の出来事、すべての行為には、定められた時がある。
3:18 人の子らに関しては、わたしはこうつぶやいた。神が人間を試されるの
は、人間に、自分も動物にすぎないということを見極めさせるためだ、と。
3:19 人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ。同じ霊をも
っているにすぎず、人間は動物に何らまさるところはない。すべては空しく、
3:20 すべてはひとつのところに行く。すべては塵から成った。すべては塵に
返る。
3:21 人間の霊は上に昇り、動物の霊は地の下に降ると誰が言えよう。
3:22 人間にとって最も幸福なのは、自分の業によって楽しみを得ることだと
わたしは悟った。それが人間にふさわしい分である。死後どうなるのかを、
誰が見せてくれよう。
+++++
司法のもとにも悪が存在していることは、昔も今も変わらないことのようで
す。
そして、神はさまざまな試練を通して「人間も動物に過ぎない」ことを人に
わからせようとしていると述べます。すべて「死に行く存在」として同じだ
というのです。死後のことはわからないのだとも。
命あるものの光と影とでも言いましょうか、いのちは有限のものなので、あ
るときにこそ楽しめるのですが、亡くなる日が必ずやってきます。だからこ
そ、身の程を知った生き方が大切であり、いのちあるものを大切にしながら
生きる姿勢が命を託された私たちの重要な使命なのかもしれません。
今日もしっかり生きたいものです。祝福がありますように。







 

5月4日(金)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 5月 4日(金)20時50分49秒
返信・引用
  「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。」マタイ28:20
イエス様はこの世での使命を終わり、父の御許へ帰られましたが、その時に約束された言葉です。なんと幸いなことでしょうか。主がいつでも私たちと共にいてくださるのです。ただ、具体的な日常生活がこの言葉への応答になるように生活することが求められています。朝から晩まで、何をするにも、どこに行くにもいつも主がおられるように振る舞い、語り、歩むことによって主の約束が完成するのです。(KE)
 

今日の命の水

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 3日(木)19時30分37秒
返信・引用
  ☆ 今日のいのちの水 ☆ 2012年5月3日(木)☆

 ☆ すばらしい神様をほめます!ハレルヤ!☆
 ☆ 神は、あなたを愛し,
        あなたを喜ぶために造られた! ☆

「  わたしは、諸国の民の間で汚され、あなたがたが彼らの間で汚した
わたしの偉大な名の聖なることを示す。わたしが彼らの目の前で
あなたがたのうちにわたしの聖なることを示すとき、諸国の民は、
わたしが【主】であることを知ろう。──神である主の御告げ──
わたしはあなたがたを諸国の民の間から連れ出し、すべての国々から集め、
あなたがたの地に連れて行く。
わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、
あなたがたはすべての汚れからきよめられる。
わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、
あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。
わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。
わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、
わたしの定めを守り行わせる。
あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住み、
あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。
わたしはあなたがたをすべての汚れから救い、穀物を呼び寄せてそれをふやし、
ききんをあなたがたに送らない。
わたしは木の実と畑の産物をふやす。それであなたがたは、
諸国の民の間で二度とききんのためにそしりを受けることはない。」
                エゼキエル36:23-30【新改訳3】

主の喜びが、あなたの上に注がれますように。(TH)

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 3日(木)10時18分37秒
返信・引用
  今日の聖句
20120503
ルカによる福音書
◆「実のならないいちじくの木」のたとえ
13:6 そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじ
くの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。
13:7 そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探
しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地を
ふさがせておくのか。』
13:8 園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木
の周りを掘って、肥やしをやってみます。
13:9 そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、
切り倒してください。』」
***
ここで語られている実とは、「悔い改め」。そしてぶどう園は「イスラエル」
と理解されています。3年間も実りがないイチジクの木を見て主人は「切り倒
しなさい」と園丁に告げますが、ここで園丁が懇願して、猶予を取り付けま
す。「もう一年、彼が必死にがんばって実るように木の周りを掘ったり、肥
料を与えて育てて見ます」と彼は言うのです。
このたとえは、イスラエルが悔い改めの実を結ぶべきなのに、結んでいない
現状と、それに対する神の厳しい裁きがあるはずなのに、それが実行されて
いないのは、園丁のとりなしのお陰であり、神の忍耐のお陰なのです。神の
裁きは、園丁のとりなしによって猶予されているという、教えを自分の身に
置き換えると、神様の忍耐深さとイエス様のとりなしのお陰で、私たちは無
事に生きているということとつながってきます。祝福がありますように。

++++

【空しさの中の真実:コヘレトの言葉】
3:12 わたしは知った/人間にとって最も幸福なのは/喜び楽しんで一生を送
ることだ、と
3:13 人だれもが飲み食いし/その労苦によって満足するのは/神の賜物だ、
と。
3:14 わたしは知った/すべて神の業は永遠に不変であり/付け加えることも
除くことも許されない、と。神は人間が神を畏れ敬うように定められた。
3:15 今あることは既にあったこと/これからあることも既にあったこと。追
いやられたものを、神は尋ね求められる。
++++
喜び楽しむ一生を送ることが出来る、まさに最も幸福な道を歩める人はどこ
にいるでしょうか。
衣食住に事足り、その苦労さえも人の役に立っていることを経験できている
ような、まさに神の賜物を享受することが出来る幸いな人はどこにいるので
しょう。
「神は人間が神を畏れ敬うように定められた。」と彼は書きました。つまり、
神を畏れ敬う姿勢を土台にして、神の賜る人生の祝福を味わうことが許され
ているという発想がここにあるようです。神を礼拝するのは、人間にとって
大事な定めであり、それを否定することは、神の祝福を否定することにつな
がり、それを自分の喜びと位置づけるなら、神との関係における幸せがもた
らされることになるのです。
祝福がありますように。



     関根一夫








 

エベネゼルさんに 感謝 <(_ _)>

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 3日(木)10時10分49秒
返信・引用
  エベネゼルさん こんにちわ
お元気ですか?
昨日 郵便が届きまして
本が数札 入っていました
*ですから聖書に戻るのです
*ありのままのあなたで
*牧師さんになったお坊さんの話
*あなたへのプレゼント
更に
心のこもったものが 同封されていまして
妻共々 ほんとに 感謝 感謝でした。
私共 夫婦のことを 遠くから いつも 見守っていてくださり
心から 感謝と共に
実の肉親のような 気持ちでいっぱいです。
昨日は
私達夫婦による 小さな *祈り会*を 致しましたが
エベネゼルさんと その家族に 主の祝福が豊にありますようにと
また
健康と 心の平安が 守られますようにと 祈りました。
沖縄で 会ったとき 天候がいまいちでしたが
今度 来られる時は
いい天気の 沖縄を 見ていただきたいです
また
機会ありましたら
私共も そちらにも 行きたいと 思います。
今年まで 色々苦しいことが 続きますが
来年当たりは
少し ゆっくりして 何か企てたいです。
なんか アクセクばかりしている 私と妻なので
無理してでも どこかで ほけーっと したい心境です。
エベネゼルさん
ほんとに いつも いつも 感謝です。
心遣いに やさしさに 恐縮するばかりです。
いつもありがとう <(_ _)>

妻も 感謝しております。


 

5月3日(木)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 5月 3日(木)08時52分41秒
返信・引用
  「そのときエリヤはすべての民に近づいて言った、『あなたがたはいつまで二つのものの間に迷っているのですか。主が神ならばそれに従いなさい。しかしバアルが神ならば、それに従いなさい』。民はひと言も彼に答えなかった。」列王上18:21

“二つのものの間”に迷うほど危ないものはありません。不利益になろうと心を一つに定めることが真実な態度です。殊に神様を信頼するにあたって、両天秤にかけるようなことは神様を侮り、軽んじることです。神様以外に頼るものを捨てるとき、神様は必ず応えてくださいます。(KE)
 

5月2日(水)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 5月 2日(水)20時57分47秒
返信・引用
  「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。」ローマ8:32

神様は徹底して私たちの側に立ってくださるかたです。御子すらも惜しまないかたが、そのほかのことで何を惜しむことがあるでしょうか。十字架を通して現された神様の愛は限りないものです。あなたがどのような苦しみや悲しみにあろうと、神様の愛を疑ってはなりません。また、自分に失望落胆しようとも、神様は決して見捨てることはありません。(KE)
 

原発の廃棄と再稼動を考察

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 2日(水)13時08分1秒
返信・引用
  現在
日本は 未曾有の大災害と 原発事故を 体験し
巷では
原発再稼動派と 原発廃止はが 国論を二分して
争っていますよね。。。。
まっ この現状から
原発反対を 唱えている人たちに 若干優位には なっていますが
よくよく考えるに
どちらにも 正論が あります。
ただ
原発は
原子力を 進歩させる上にも 必要と言うことだけは事実です。
原子力は 原子力発電は その性質上
廃棄物からも 長期にわたり 放射線が でます
このことを知りつつ
未だに この処理が 出来ないのです
現在の技術では
原子力を100パーセント コントロールできないままに
見切り発車で 使用しているのが現状です。
ところで
フィンランドは
原発を作るに際し
*地下深く*に
途方もない広い *廃棄物貯蔵庫*を 造っています
。。。というか
原発を造る条件に それが あるのです。
そして
その運営会社の本社も その原発の横にあるのです。
原発を生半可に 管理すると
その付けは 原発の そばにある本社ですから
もろに 本社自体が 真っ先に 被害を受けますから
これは真剣にならざるを得ないと いうわけです。
原発は
*100パーセント 安全では有りません*
でも
*100パーセントに近づける努力をしています*と
その関係者は あえて 語られていましたが
その通りです。
日本においても 原発の廃棄物処理場は
現実的には
どこかの 孤島の地下深くを 掘削して
地下深くに それを貯蔵するしかないと 思います。
原発は
安全の実証されたいくつかを残し それを稼動させ
今後の 対策のためと
原子力の完全なコントロールを目指して
開発 進歩させる 研究の場として
それを 用いて いけたらと 思います。
また
放射線の 除去の技術をも 平行して しっかり 研究してほしいと思います。
原発は 決して安全なものとは いえないかもしれませんが
そうであるから
それを制御する研究も 必要であると思う 私です。
原発は 人間が 作り出したもの
であるなら
しっかり取り組めば
それを 制御する また 核廃棄物の処理技術も 近い将来 開発できると 思います。
思うではなくて 現実化しなければ なりません。
人間の 英知をもって
国レベルでなく 世界レベルで 研究すれば それも 可能と思います。
原発を *トイレのないホテルのようだ*と 言う人が いますが
現在 それは 当たっています
だから
そのようなことを 言われないためにも
原発の最終工程の研究が 必要です
原発が無ければ 原発の 研究も 滞ってしまいます。
机上の論理だけでは
核制御と核廃棄物処理の研究は 決して 出来ませんよね。
そして
日本は 原発を作る条件として
必ず
地下核廃棄物貯蔵施設を設けさせる 法整備も 必要と思います。

それから
原発とは無縁ではありませんが
発電と 送電の 分離も 必要だし
業界の 自由競争も 必要と思います。
電気の安定供給の為に 独占させているとありますが
現実は これが 全ての 悪循環を 招いています。

ただ
確かに 電気は 今足りれば いいというものでは ありません
常時 限界近くで 発電していますと
必ず リスクはありますし
電気の不安定化の要因となり
電気を大量に使う業界は 工場の存続さえも 危なくなり
雇用も そこで 限界が 来て
結果
電気を 多用する業界は 日本を見限り  外国に 移動していきます。
そして
日本の産業は 衰退の一途を たどりかねません。。。。
また
発電用の燃料が
外国の事情で
日本を取り巻く世界事情で 入手困難となった時
それを
どうするかまで 考えておかないと
やはり
国家を危うくさせます
市 県 レベルで 原発を 再稼動させることを 防ぐことが出来ても
国家と言う 高次元で 世界全体の日本を考える時
原発は 停止できるのかと やや 不安も あります
このような論調ですと
原発賛成派として レッテルを貼られそうですが
私も 原発の安全性が より ましてこそ
このことも 言えるのだと 思っています。
現在の ところ
システム的にも まだ 安心できませんし
*人は 必ず ミスをするものである*と言う このことを
原発のあらゆるところに 想定していないと システムも 甘いものとなります
二重 三重の 安全システムを しっかり 張り巡らし
自信過剰に 陥らないこと
これですよね

それから
原発の反対者の方たちの 意見も 良くわかります
今回の事故に拠り
一つの原発の 及ぼす はかり知れない周囲への放射線による汚染
それを除去するために
一つの世代を 超えるような時間を必要とすること
自然界への 各産業への 多大な悪影響
そして ひいては このことによって 人生さえも来るってしまうと言う事実
これらのことを思うと
そこまでして 原発を稼動させてほしくないと言うのは
ほんとに 理解できます。

だから
この 原発の廃棄か稼動か ということは
なかなか ひと言で 判断できませんよね

このことは
冷静な判断と 客観的な判断を 求められますよね

たとえば
原発廃棄派は
ドイツのことをよく持ち出されて 比較されます
ドイツは
原発を 廃止することになっていると よく言われますが
そもそも
ドイツは 大陸の国家です
そして
電気会社も自由競争ですよね
隣には
世界一の原発大国フランスがいます
自国の原発は廃止して
隣の原発大国フランスから
電気の供給を 一部してもらうことに なっているようですが
これも よくよく考えると
なにか おかしいなと 思うのは 私だけでしょうか
日本は 島国
周囲に隣接する 国家は ありません
日本内で 電気の融通をすることしか 出来ませんし
そもそも
日本は 二種類のヘルツで 電気を 発電してます
これも 大きな 弊害となっていますよね。

先ず
日本は
ヘルツの統一
送電 発電の分離
発電会社の自由競争
化石燃料の輸入の 安定化と 輸入先の多様化
自然エネルギーの 開発と浸透
日本独自の 新燃料開発
これらの問題に 直面します。。。。。
だから
原発の廃棄には
このような アクションも 必要と なりますよね
小さな市 県 レベルだけの ことでは なくなるからね
国家として
将来の展望も 国民に 示さなければ いけないからです。
これらを 平行同時に 推し進めながら
原発の廃棄を求めたい人は 訴えていくしかないよね。

どちらにしても なかなか難しい。。。。。


追伸
原発の再稼動反対の 国民感情の一部に
東電と 民主政権のお粗末な
東北大震災と 原発事故への 対応も 一因して
反対される方の増大の一部にも なっていると 思います
被害を 受けた方たちの
生活苦 二重ローンの問題 ついの住処の供給 生活支援 などを
なぜ もっと 速やかに
心のこもった方法で 対応しなかったのかと 思います。
初動の悪さが
被災者のみならず 国民レベルでも
国家や 電気会社に対し 不信感を 増させたのです
また
核開発部署も
その隠蔽体質と 責任のなすりあい によって
原発自体の 存在意義すら 不信の中に 導いたのです。
この責任は 重大です。



 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 2日(水)12時33分36秒
返信・引用
  今日の聖句
20120502
ルカによる福音書
◆悔い改めなければ滅びる
13:1 ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼ら
のいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。
13:2 イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭
ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。
13:3 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、
皆同じように滅びる。
13:4 また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んで
いたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。
13:5 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、
皆同じように滅びる。」
++++
ピラトがガリラヤ地方の人たち数人の血を彼らの宗教祭儀であるいけにえに
混ぜたという事件と、シロアムの塔が倒れて18人死んだという災難を、それ
は神からの天罰で、きっとたくさんの悪いことをしていた人たちに違いない
と言っている人たちがあったのでしょう。イエス様は、それを否定なさいま
した。
つまり、災難や災害は、悪い行いをしたに人も、そうでない人にも誰にでも
もたらされてしまうのです。
同時に神の裁きの座にもすべての人が立つことになります。しかし、悔い改
めてキリストによる罪の赦しの福音を信頼するなら、裁きの判定は救いであ
って、滅びではありません。
イエス様は、そのことを教えておられます。悔い改めとは、方向変換を意味
しています。いわば、Uターンです。神様の示された恵みの道へと方向転換す
るわけです。その力は聖霊が与えてくださいます。
祝福がありますように。

++++

【空しさの中の真実:コヘレトの言葉】

3:1 何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
3:2 生まれる時、死ぬ時/植える時、植えたものを抜く時
3:3 殺す時、癒す時/破壊する時、建てる時
3:4 泣く時、笑う時/嘆く時、踊る時
3:5 石を放つ時、石を集める時/抱擁の時、抱擁を遠ざける時
3:6 求める時、失う時/保つ時、放つ時
3:7 裂く時、縫う時/黙する時、語る時
3:8 愛する時、憎む時/戦いの時、平和の時。
3:9 人が労苦してみたところで何になろう。
3:10 わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。
3:11 神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与え
られる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許
されていない。
++++
私たちは時から時へと流れるように進んで行き、ことの初めから終わりまで
を見極めることはできません。そして、そういう時を待ち伏せして、捕まえ
るという作業も次に何が起こるのかわからないので、難しいものです。しか
し、私の一生の時とそこに置かれているチャンスやピンチを神に知られてお
り、神が心の支えとなって共に歩んでくださるのであれば、ずいぶん心強く、
前向きに進むことが出来るように思います。
また、今日が、辛いときだとしても、明日は明るい時になるかもしれません。
その逆の可能性もありますね。人が生きるということは、さまざまな状況の
中を右往左往しながら、流れるように日々を進むということでもあります。
私たちは時を支配したり、時を止めることはできません。
時の存在によって、人間の状況の不確実性やはかなさを思い知らされます。
だからこそ、心の支えとして誠実に生きること、また、神に信頼して生きよ
うとする姿勢はとても有益なものだと思います。
祝福がありますように。


    関根一夫







 

猫ちゃんへ

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 2日(水)12時32分31秒
返信・引用
  猫ちゃん  こんにちわ

はい わかりました。。。。。
掲示板に 行って 読ませてもらうね。(*^_^*)
 

洋チャン&麦さんへ

 投稿者:ねこ背のたぬき  投稿日:2012年 5月 1日(火)22時38分36秒
返信・引用
  洋チャン&麦さん、お久しぶりです。
私の借りている掲示板にちょっと触れていますが、仕事の件、お二人の執り成しのお祈りをお願いしましたが、残念ながら「永遠の大型連休」になってしまいました。
ゴメンナサイm(_)mとしか言いようがありません。
詳しいことは「談話室No.1」を読んでいただけると幸いです。よろしくお願いいたしますm(_)m
 

今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 1日(火)22時05分46秒
返信・引用
  自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。


                第一ヨハネ 1:9

http:// 

 

今日の命の水

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 1日(火)21時30分52秒
返信・引用
  ☆ 今日のいのちの水 ☆ 2012年5月1日(火)☆

 ☆ すばらしい神様をほめます!ハレルヤ!☆
 ☆ 神は、あなたを愛し,
        あなたを喜ぶために造られた! ☆

「 神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、
御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによって
ご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。
それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった
恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。
この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。
これは神の豊かな恵みによることです。
この恵みを、神は私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、
みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、
この方にあって神があらかじめお立てになったみむねによることであり、
時がついに満ちて、実現します。いっさいのものがキリストにあって、
天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです。
この方にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。
みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、
私たちはあらかじめこのように定められていたのです。
それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、
神の栄光をほめたたえるためです。
この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの
救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、
約束の聖霊をもって証印を押されました。
聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。
これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。
                 エペソ1:4-14【新改訳3】

主の喜びが、あなたの上に注がれますように。(TH)

http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 5月 1日(火)21時08分45秒
返信・引用
  今日の聖句
20120501
ルカによる福音書
◆訴える人と仲直りする
12:57 「あなたがたは、何が正しいかを、どうして自分で判断しないのか。
12:58 あなたを訴える人と一緒に役人のところに行くときには、途中でその
人と仲直りするように努めなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官の
もとに連れて行き、裁判官は看守に引き渡し、看守は牢に投げ込む。
12:59 言っておくが、最後の一レプトンを返すまで、決してそこから出るこ
とはできない。」
++++
和解することは簡単な事ではありませんが、それでも感情的になり過ぎない
うちに、互いに「ごめんなさい」と「ありがとう」の両方を合せてを伝える
ことができれば、道は開けるように思います。一番重要なことは、できるだ
け早いうちに手を打つことかもしれません。時間が経ってしまうと、なかな
か和解のきっかけが見つかりにくくなります。ここにある話は神様との関係
についての終末論的な「たとえ話」と理解されていますが、実際の社会にお
ける出来事として理解すべきものでもあると思います。
今日が誰かとの和解の日になったら良いですね。「ごめんなさい」と「あり
がとう」の両方を丁寧に伝えてみたらいかがでしょう。
祝福がありますように。

++++

【空しさの中の真実:コヘレトの言葉】
2:20 太陽の下、労苦してきたことのすべてに、わたしの心は絶望していった。
2:21 知恵と知識と才能を尽くして労苦した結果を、まったく労苦しなかった
者に遺産として与えなければならないのか。これまた空しく大いに不幸なこ
とだ。
2:22 まことに、人間が太陽の下で心の苦しみに耐え、労苦してみても何にな
ろう。
2:23 一生、人の務めは痛みと悩み。夜も心は休まらない。これまた、実に空
しいことだ。
2:24 人間にとって最も良いのは、飲み食いし/自分の労苦によって魂を満足
させること。しかしそれも、わたしの見たところでは/神の手からいただく
もの。
2:25 自分で食べて、自分で味わえ。
2:26 神は、善人と認めた人に知恵と知識と楽しみを与えられる。だが悪人に
は、ひたすら集め積むことを彼の務めとし、それを善人と認めた人に与えら
れる。これまた空しく、風を追うようなことだ。
+++
苦労を重ねても、自分が死ねば、苦労知らずの人のものとして相続されてし
まうことへの幻滅感、苦労の多い日々に対する疲労感を著者は描き、空しさ
を語ります。
そして、結論めいた文章が出てきます。自分の苦労で食物を得て飲み食いす
ることが出来たら、それを喜び、魂に喜びを経験すること。しかし、これは
自分の喜びというより、神によって与えられるものなのだということに彼は
気づきます。
しかし、神は善人に祝福をもたらし、悪人には労苦を与えるとコヘレトは言
います。そして、自分が善人でい続けることができないことを知り、つまり、
神の善しと認める人のところに祝福が渡されてしまうことを知り、空しさを
感じるのです。神を思いのままに動かすことができない現実に彼は愕然とし、
ある種の限界を感じているのでしょう。
しかし、「神」が出てきているところに、発想の展開があり、何か希望を感
じます。
祝福がありますように。


    関根一夫






http:// 

 

5月1日(火)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 5月 1日(火)09時43分21秒
返信・引用
  「その上、あなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。」ルカ12:7

自分のことは自分がよく知っているといいますが、自分の頭の毛が何本あるか、知っている人はまずいません。実は自分のことすら何も知らないのです。しかし、神様は造物主ですから、何もかも知っておられます。そればかりか、養い生かして下さっているのです。だから、思いわずらうことを止めて、神様を信じて備えられたものを感謝しつつ、導きに委ねましょう。(KE)
 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月30日(月)22時16分37秒
返信・引用
  今日の聖句
20120430
ルカによる福音書
◆時を見分ける
12:54 イエスはまた群衆にも言われた。「あなたがたは、雲が西に出るのを見るとすぐに、『にわか雨になる』と言う。実際そのとおりになる。
12:55 また、南風が吹いているのを見ると、『暑くなる』と言う。事実そうなる。
12:56 偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか。」
++++
天気予報については情報をきちんとキャッチし、的確に予想できるのに、救い主が到来しているという重大な時をなぜ理解できないのかとイエス様は、宗教指導者たちのことを嘆いています。当時、彼らは、天気予報と同じくらい、いいえ、それ以上、どういう時にどこに救い主がおいでになるのか、情報は持っていました。そして、民衆にそれを教えていたほどでした。にもかかわらず、実際にその時が来て、イエス様がそこにおられるのに、イエス様の中に神からの救い主の姿を見ることができず、反発し、殺そうとさえしている現実がありました。
「偽善者」とは、教えていることと理解していることが違う、言っていることとやっていることが違う指導者たちのことを指しています。私は自分の中に、常に偽善的な面が存在しているように感じています。
教えと行為の中に誠実さを身につけたいと思います。
祝福がありますように。

++


【空しさの中の真実:コヘレトの言葉】
2:12 また、わたしは顧みて/知恵を、狂気と愚かさを見極めようとした。王の後を継いだ人が/既になされた事を繰り返すのみなら何になろうか。
2:13 わたしの見たところでは/光が闇にまさるように、知恵は愚かさにまさる。
2:14 賢者の目はその頭に、愚者の歩みは闇に。しかしわたしは知っている/両者に同じことが起こるのだということを。
2:15 わたしはこうつぶやいた。「愚者に起こることは、わたしにも起こる。より賢くなろうとするのは無駄だ。」これまた空しい、とわたしは思った。
2:16 賢者も愚者も、永遠に記憶されることはない。やがて来る日には、すべて忘れられてしまう。賢者も愚者も等しく死ぬとは何ということか。
2:17 わたしは生きることをいとう。太陽の下に起こることは、何もかもわたしを苦しめる。どれもみな空しく、風を追うようなことだ。
2:18 太陽の下でしたこの労苦の結果を、わたしはすべていとう。後を継ぐ者に残すだけなのだから。
2:19 その者が賢者であるか愚者であるか、誰が知ろう。いずれにせよ、太陽の下でわたしが知力を尽くし、労苦した結果を支配するのは彼なのだ。これまた、空しい。
+++++
知恵は愚かさよりも優れていることを認めながらも、結局賢い人も、愚かな人も同じように死んでいき、忘れられていくことの虚しさをコヘレトは語っています。
自分の努力も残したすべてのものも、結局、自分の死後、そこに残された後継者に引き継がれるわけですが、彼が賢者なのか、愚者なのか、それさえ確定的なものではない、これもまた空しいと告白しています。人は、絶望的な見方をし始めると、何から何までそういうふうに見えてきてしまうものです。「死」の壁は厚く、すべての人が忘却の対象になっている現実は、確かに、暗澹たる思いの波の中に引き込まれてしまう感じさえします。しかし、こういう現実をしっかり見定めることができるこの人は確かに優れた知性の持ち主であることはわかります。
しかし、この人は「どうせ死ぬのだ、勝手に生きよう」という自暴自棄的な生き方を推奨しているわけではありません。いったいどう生きれば良いのかを問うているのです。
答えは簡単ではなさそうです。
祝福がありますように。


    関根一夫

http:// 

 

4月30日(月)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 4月30日(月)09時37分13秒
返信・引用
  「われわれは粘土であって、あなたは陶器師です。われわれはみな、み手のわざです。」イザヤ64:8

 私たちは陶器師の手に握られた粘土です。粘土は自分で好き勝手に用途や形を決めることは出来ません。陶器師によってそれぞれの器に仕上げられるのです。同様に、神様の手に握られ、日々造られている私たちです。思いがけないこと、願わないことなどがあります。しかし、造り主なる神様には明確な意図があり、計画があってわざをなさるのです。一握りの土くれにすぎないものですが、神様のみ手にあることを信じましょう。(KE)
 

今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月29日(日)21時43分41秒
返信・引用
  罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。


                   ローマ 6:23

http:// 

 

4月29日(日)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 4月29日(日)16時45分49秒
返信・引用
  「ただ一つのことだけ知っています。わたしは盲人であったが、今は見えるということです。」ヨハネ9:25

   生まれつき目が見えなかった人に、イエス様はシロアムの池で洗うように命じました。主の言葉に従った結果、見えるようになりました。彼にとって、キリスト体験とも言うべき事態です。彼はどうして目が見えるようになったのか、さっぱり分かりません。理屈は説明できなくても、確かな結果を握っている彼はどんなに言われても動きません。私たちもこれ程の確信となるキリスト体験をしようではありませんか。(KE)
 

スウィーツバイブル   みのみの

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月29日(日)14時26分3秒
返信・引用
  こんにちは。
今日もスィーツな聖書のみことばをご一緒に味わい楽しみましょう。
今日の聖書箇所は、前回に引き続きローマの信徒への手紙10章1-2節です。


―――――――――――――― 今日のみことば ――――――――――――

10:1 兄弟たち、わたしは彼らが救われることを心から願い、彼らのために神に祈っています。
10:2 わたしは彼らが熱心に神に仕えていることを証ししますが、この熱心さは、正しい認識に基づくものではありません。


――――――――――――――今日のお勧め――――――――――――――

今日から10章に入ります。
前回、9章の復習をしましたが、この9、10、11章はイスラエルの救いがテーマとなっている章です。
そして9章において、パウロはイスラエルの民が救われることを熱望していることを書き、イスラエルがどれだけ祝福されているのか、神様から与えられた特権はイスラエルの民だけに与えられていることを書き、それなのに神様からの最大のプレゼント、つまりイスラエルの救いのために来られたメシア、救い主であられるイエス様を拒否してしまったのだということを書きました。

ではそのイスラエルは神様から見捨てられたのでしょうか?決して、断じてそうではありません。神様は今も尚イスラエルの民を愛しておられ、多くの民が神様の御心に反し救いの御手を拒否した中にあっても少数派ですが、着実に救われる者を起こしています。
アブラハムから始まったイスラエルの歴史において、途切れることなく真の信仰者は起こされています。そしてそれは今の時代、2012年4月現在においても継続して真の信仰者がおります。
今日においてはメシアニックジューと言われているイエス様の十字架と復活を信じ受け入れているユダヤ人です。メシアニックジューとはメシア、つまり救い主イエス様を信じているユダヤ人です。だからユダヤ的に言うと、私たち日本人はメシアニックジャパニーズとなります。

イスラエルの民の中にこの真の信仰者はいつの時代にもいたのですが、どの時代においても大勢ではありません。いつも少数です。今日においてもそうです。このことを専門用語で「残された者」とか「レムナント」と言います。このレムナント、残された者がいたからイスラエルは今日に至るまで守られていたのです。彼らの祈りの火は何千年と絶やされることがなかったからです。

さて、そのことを踏まえながら、今日からの10章を学んでいくこととします。

1節をご覧下さい。
「兄弟たち、わたしは彼らが救われることを心から願い、彼らのために神に祈っています。」

パウロは10章の冒頭で「兄弟たち」と語っています。
この「兄弟たち」、誰に向かって言っているのでしょう?それはローマの教会の信徒たちにです。
当時ローマにはユダヤ人と異邦人、両者がおりました。その彼らにパウロの心の中心を分かち合おうとしているのです。

「兄弟たち」、この言葉は愛のこもった、そしてどうしても聞いて欲しいというニュアンスがあります。
私たちも友人や特別な関係の人にこういう言い方をしないでしょうか?
「○○さん、大丈夫、安心していいんだよ!」
こうやってセンテンスの冒頭で名前を言うときは、どうしても伝えたいとき、愛を込めた励またいときではないでしょうか?
ここでの「兄弟たち」も同じなのです。

パウロはここで「兄弟たち、私の思いをどうしても知って欲しいのだ」と涙ながらに語っているのです。
ここからもこの9,10,11章が重要な箇所だと言えます。パウロの涙ながらの力説が伝わって来ます。これから言うことは重要なことで、どうしても知って欲しいことなのだと。私たちもそのパウロの心を持ってこの章をご一緒に味わいましょう。


ではパウロがそれだけ熱心に訴えていることとは何でしょう?
「わたしは彼らが救われることを心から願い、彼らのために神に祈っています。」

パウロは彼ら、つまりイスラエルの民が救われることを心から願い、祈っているのです。
パウロもまたレムナントの一人なのです。神様がご自身の権威でパウロを選び、救われるように選ばれた器なのです。

パウロの願い、それは同胞であるイスラエルの民の救いです。
9章2-3節でパウロは「わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています」と語っています。
これ程の情熱、イスラエルのためなら神様から見捨てられた者となってもよいとまで思うほどの同胞への愛を持って彼らが救われるようにと願っているのです。

そしてこの10章の冒頭で「兄弟たち」と語っています。イスラエルの民だけなら「我が同胞よ」とか「イスラエルよ」と言いますよね。しかしここではユダヤ人も異邦人も教会のメンバー全員にどうしても聞いて欲しいと涙ながらに訴えているのです。つまり、これから語られることは軽々しい内容ではなく、ユダヤ人も異邦人も、この手紙を読む全ての人にとって重要な内容だということです。

さて、パウロはイスラエルの民が救われることを心から願っていると言っていますね。
しかし前章で神様はご自身の権限によって救われる者を選ばれているのだということ、そして造られた私たちにはそれに対して文句をいう資格がないということを学びました。
だからパウロが力説しなくても、もう神様が救われる人を選んでおられるからそれでいいのではないかと思われる方がおられるかもしれません。そして何か矛盾も感じる方もおられるかもしれません。

しかしこれは重要なことなのですが、神様は確かに救われるべき人を選ばれています。そして神様の主権によって今日に至るまで導かれ、御計画のままに進行しています。これは事実です。
しかしそれと同時に救われない者を選んでいるとは聖書には一言も書かれていません。つまり誰が救われるかどうかは私たちにはわからないし、知ることも出来ないのです。

私たちクリスチャンは神様によって救われるべく選ばれた者です。だから一度救われたら絶対にその救いが奪われることはありません。

それと同時に誰が救われるか救われないか、それは私たちにはわからないのです。神様の御心によることだからです。だから私たちは神様の恵みによって救われたことを感謝し、同時に救われていない者たちのために祈り伝道するのです。このバランスが非常に重要です。

パウロは同胞であるイスラエルの民が救われることを心から願い、祈っていると言っています。私たちもまたイスラエルの救いを願い求める必要があります。
それと同時に私たちの愛する同胞、つまり日本人の救いのために祈り求める必要もあるのです。
今日、多くの人が希望を持てないと言っています。
その希望の源、それは私たちの主イエス・キリストです。イエス・キリスト以外に救いはないのです。
このイエス様の十字架の愛を、恵みを多くの人に知ってもらいたい、受け入れ救われて欲しいと心から願っています。日本の希望、それはイエス・キリスト以外に無いのです。

共に私たちの同胞である日本人の救いのため、祈り求めていきましょう!

祝福を祈ります、キリストの愛を込めて。。。


http:// 

 

礼拝説教

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月29日(日)14時10分46秒
返信・引用
  MACF礼拝説教
2012.04.29
旧約聖書人物列伝
「アブラハム」
創世記
12:1 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて
/わたしが示す地に行きなさい。
12:2 わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名
を高める/祝福の源となるように。
12:3 あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは
呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」
12:4 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブ
ラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。
++++
ヘブライ人への手紙
11:8 信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことにな
る土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知ら
ずに出発したのです。
++++++++++++
1)アブラムを取り巻く人たち
創世記11:26 テラが七十歳になったとき、アブラム、ナホル、ハランが
生まれた。
11:27 テラの系図は次のとおりである。テラにはアブラム、ナホル、ハ
ランが生まれた。ハランにはロトが生まれた。
11:28 ハランは父のテラより先に、故郷カルデアのウルで死んだ。
ここにアブラムの父テラのことが出てきます。
テラは70歳でアブラム・ナホル・ハランの三人の子供の父親になります。
いったい一年間で三人の子供の父になるとはどういうことなのでしょう
か。アブラムは妻サライと結婚し、ふたりで一緒に父との旅に同行しま
す。しかし、テラの妻については言及がありません。推測ですが、テラ
は家庭のことでいろいろ問題を持っていたのではないかと言う人がいま
す。
父親ハランを失ったロトにとってアブラムは信頼できるやさしい心のお
じさんだったに違いありません。
妻のサライは子供を生むことができない人だったので、当時の社会では
本当に冷たい視線や仕打ちを受けていた可能性があります。
つまり、ここに登場するアブラハムを取り巻く人たちは、どこかに寂し
さを抱え、どこかで社会に落ち着けないような気持を持っていた人たち
でした。
最初これらの人たちはカルデアのウルという土地に住んでいました。ウ
ルという土地は現在のイラクの南部の都市で、月を礼拝する宗教が盛ん
な所でした。アブラムは父とロト、そして妻のサライと一緒にウルから
ハランに旅立ち、そこで父親が死ぬまでの間留まりました。つまり父親
に対してアブラムは責任を果たしたことになります。また、甥のロトに
対しても、妻サライに対してもきちんと責任を果たし、精一杯彼らの祝
福のために生きようとしている人であることがわかります。
彼らが住んだハランとは、シリア地方、現トルコ領の中にある町です。

2)行くところを知らずして

使徒言行録7章のステファノの説教の記事によれば、ウルにいた頃、すで
にアブラムに対して神がそこから出ていくようにと声をかけていること
がわかります。つまり、この旅は父親が積極的に決めたことというより、
むしろ、アブラムが父親を巻き込み、妻と甥のロトを連れてハランまで
移動したのかもしれません。
ハランまでの旅では「アブラハムの優しさ」が顕著です。父が死ぬまで
ハランに留まったということを考えると、父に寄り添うために、自分の
最終目的地への旅を保留した可能性があります。ロトを連れていったこ
ともまた、とても素晴らしい優しさだと思います。ハランでの父の死を
受けて、神様の約束を再確認し、いよいよ彼自身の旅が始まります。
創世記12:4 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。
アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。
ここでは、人への配慮とか、逃げ出すとか、そういう思惑の全くない旅
が書かれています。つまり、アブラムはこのハランである程度成功者と
して名をなしていましたから、別に生活のために他所の土地へ移動する
必要はありませんでした。ウルからハランまでは、もしかすると、父親
の問題などがあって、移動が人間的な理由でも必要だったのかもしれま
せん。
アブラムは主の言葉に従って、出発を決意し、そして、神の約束を信じ
て、自力での決断としてハランから約束な地に向けて出かけました。こ
のあと、ロトとも別れることになりますので、ますますアブラムの自立
的な、自分の決断による旅が明確になっていきます。

3)約束を信じているが、天幕での生活

使徒言行録
神はアブラハムを、彼の父が死んだ後、ハランから今あなたがたの住ん
でいる土地にお移しになりましたが、
7:5 そこでは財産を何もお与えになりませんでした、一歩の幅の土地さ
えも。しかし、そのとき、まだ子供のいなかったアブラハムに対して、
『いつかその土地を所有地として与え、死後には子孫たちに相続させる』
と約束なさったのです。
ヘブライ人への手紙
11:9 信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、
同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕
屋に住みました。

アブラハムは優しい人ですが、失敗もありました。自分の妻のことを「妹
だ」と言って騙したり、息子の誕生が待ちきれず、ハガルによってイシ
ュマイルを生んだり、弱点はありました。妻も信仰深いわけではありま
せんでした。また、資産として大邸宅を建てるわけでもなく、テント生
活を続けました。ウルの時代、ハランの時代には、家も財産もありまし
た。今はずっとテントで移動生活です。しかし、神の祝福の約束を信じ、
約束の提供者である神を信じ、常に希望を抱き、前向きに進んで行きま
した。人に対しての誠実に生きました。
パウロはこうまとめました。
ローマ4:17 「わたしはあなたを多くの民の父と定めた」と書いてあると
おりです。死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させ
る神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。
4:18 彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、
「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民
の父となりました。
4:19 そのころ彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えてお
り、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱ま
りはしませんでした。
4:20 彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰
によって強められ、神を賛美しました。
4:21 神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信してい
たのです。

思い通りにいかない人生、約束があるので前向きにはなれるけれど、実
現まで待たされることの多い人生、アブラムはそういう中で神の祝福の
約束を心に信じて生活したのです。
彼の信仰は弱らず、約束を疑わず、神を賛美しながら前に進みました。
これから何が起こるか知らされていない、わからないのが人生です。で
も、最終的には神に知られていることで安心なのです。神が計画を持っ
ておられると信じて日々を過ごせることが幸いなのです。

4)アブラムの信仰、自立的な旅への歩み

私たちも、神に語られ、自分で前途を決めなければならないことがあり
ます。その際に人に相談しても反対されるような気持になり、悶々とし
て、結局、決断できず、前にも後ろにも行けないような気持になり、信
仰生活が面倒に感じてしまうことがあります。逆に、なりふり構わず無
鉄砲に決断し前に向かうことが最善だと考えている人もいるかもしれま
せん。
優柔不断も無鉄砲もアブラハムの決断の仕方とは違います。
彼はいわば神の約束に圧倒され、信じました。
アブラムと一行の移動は、現代人の考える旅行よりもはるかに時間がか
かっており、自分の財産を使いながら、そこに滞在し、関係を持ち、進
んで行ったので、誠実さ、勤勉さ、勇気、そして信頼される生き方を積
み上げていく必要がありました。
アブラムは焦ることなく、淡々と日常を行き、先に進んだだけなのです。
何も見せびらかすものなどありません。神が真実なお方だということだ
けが彼の確信でした。神はアブラムをアブラハムと改名しました。「高
貴な父」、から、「多くの国民の父」という名前になりました。サライ
は「私の王女」からサラ「諸国民の母」となりました。17章参照。
その祝福はイサクに引き継がれ、子々孫々にわたって引き継がれていま
した。そして、私達にも届いたのです。
25:7 アブラハムの生涯は百七十五年であった。
25:8 アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖
の列に加えられた。
アブラハムは「神を信じた」人であり、信じたように生きた人、信じた
通り従った人でした。75歳から175歳まで。「満ち足りて」という言葉が
最後の言葉として印象的です。
祝福がありますように。


     関根一夫

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沖縄の梅雨入り

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月28日(土)21時08分34秒
返信・引用
  皆さん こんばんわ。。。。
沖縄は なんか すっきりしない天気で
なんだろうと思っていたら。。。。
テレビのニュースで 連休初日の今日から 「梅雨」入り だそうです。
せっかくの 連休なので 沖縄に来た 観光客も ちょっと がっかりしたかもね
しかし
それでも 沖縄に来る観光客は 多く 空港は 人が多かったらしいですし
ちゅら海水族館へ 向かう人が 多いようですよ。
こんなときは レンタカーが たくさん 走っています。

http:// 

 

今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月28日(土)20時36分9秒
返信・引用
  ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。


                            ローマ 5:1

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4月28日(土)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 4月28日(土)19時45分41秒
返信・引用
  「これであなたがたは、主がアハブの家について告げられた主の言葉は一つも地に落ちないことを知りなさい。」列王記下10:10

アハブ王は王妃イゼベルにそそのかされて偶像の神々を拝むようになり、彼の治世はまことの神様から離れたものとなりました。その結果、神様は預言者エリヤを通して警告や勧告を与えましたが、彼らは無視しました。しかし、神様の言葉は長年のうちに次々と具体化され、振り返るとすべて主の語られたとおりになったのです。聖書の言葉も同様に決して言葉だけに終わらず、必ず結果が伴います。(KE)
 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月28日(土)13時32分55秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.28
ルカによる福音書
◆分裂をもたらす
12:49 「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃
えていたらと、どんなに願っていることか。
12:50 しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、
わたしはどんなに苦しむことだろう。
12:51 あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。
そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。
12:52 今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と
対立して分かれるからである。
12:53 父は子と、子は父と、/母は娘と、娘は母と、/しゅうとめは嫁と、
嫁はしゅうとめと、/対立して分かれる。」
+++++
ここで語られている「洗礼」とはご自分の使命でもある「十字架と復活」の
出来事です。神様がもたらそうとしている「救い」は救い主イエスの苦難と
犠牲によるものでした。
そして、イエス様は地上に平和ではなく分裂をもたらすために来たと語って
います。その救いを受け取る際にはきっぱりとした態度が求められ、対立が
生まれる可能性を示唆しています。
実は、イエス様も家庭内の理解を得られない時期がありました。マルコ3章
31節~などを見るとそれがわかります。
でも、この箇所で一番伝えたいのは、神様が家庭内に必ず深刻な対立をもた
らすという教えではなく、むしろ、一時的に家庭内で混乱や分裂があるにせ
よ、確実に神の救いがもたらされるということであり、そのためにこそ信仰
の火を点じる聖霊が与えられるのだという希望的な教えです。
誰かが信仰の決心をしたとき、家庭内で全員が喜ぶことがあるとすれば、家
中の人がすでに信仰を持っている場合か、あなたがよほどそれまで家庭内で
心配や迷惑をかけてきたかのどちらかだろうと思います。多くの場合、あな
たの信仰決心をいぶかる声があがり、警告や注意、意見対立が起こります。
しかし、一時的には対立もあるかもしれませんが、その火を消さないように
守るべきでしょう。いつか、きっと気づいてもらえる日が、和解の日がくる
と信じながら。
祝福がありますように。

++

【空しさの中の真実:コヘレトの言葉】
2:3 わたしの心は何事も知恵に聞こうとする。しかしなお、この天の下に生
きる短い一生の間、何をすれば人の子らは幸福になるのかを見極めるまで、
酒で肉体を刺激し、愚行に身を任せてみようと心に定めた。
2:4 大規模にことを起こし/多くの屋敷を構え、畑にぶどうを植えさせた。
2:5 庭園や果樹園を数々造らせ/さまざまの果樹を植えさせた。
2:6 池を幾つも掘らせ、木の茂る林に水を引かせた。
2:7 買い入れた男女の奴隷に加えて/わたしの家で生まれる奴隷もあり/か
つてエルサレムに住んだ者のだれよりも多く/牛や羊と共に財産として所有
した。
2:8 金銀を蓄え/国々の王侯が秘蔵する宝を手に入れた。男女の歌い手をそ
ろえ/人の子らの喜びとする多くの側女を置いた。
2:9 かつてエルサレムに住んだ者のだれにもまさって/わたしは大いなるも
のとなり、栄えたが/なお、知恵はわたしのもとにとどまっていた。
2:10 目に望ましく映るものは何ひとつ拒まず手に入れ/どのような快楽をも
余さず試みた。どのような労苦をもわたしの心は楽しんだ。それが、労苦か
らわたしが得た分であった。
2:11 しかし、わたしは顧みた/この手の業、労苦の結果のひとつひとつを。
見よ、どれも空しく/風を追うようなことであった。太陽の下に、益となる
ものは何もない。
+++
知恵と笑いに続いて、著者は「酒による刺激、愚行」そして、贅沢の限りを
尽くして大邸宅を建て、果樹園や池を作り、奴隷、金銀、宝を手に入れ、遊
びに明け暮れ、側女も大勢はべらせて暮らしました。繁栄しているように誰
からも見えたはずです。しかし、その心は満たされていなかったというので
す。
それらのどれも、空しいと語っています。
それにしても、不思議ですね。快楽に熱中し、贅沢に遊んで暮らせること自
体が悩みになり、虚しさを感じるとは。心の中に潜む虚無感は、いわゆる物
欲や性欲、あるいは貪欲に押し出されての労苦によっても満たされることは
ないようです。
テレビなどで紹介される億万長者の、いわばセレブな生き方って本当に、幸
せなのでしょうか。人間って守るべきものが多くなりすぎたり、虚栄心ばか
りが大きくなってくると、苦労も倍増することになるかもしれませんね。
コヘレトは、自分の体験として、それら物欲からの労苦や外面的な繁栄は、
最終的な心の満足をもたらさなかった、幸せになれなかったと告白していま
す。人生の難しさがここにありそうです。
祝福がありますように。


    関根一夫







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ゴールデンウィーク

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月27日(金)23時07分25秒
返信・引用
  明日から 巷は ゴールデンウィークのようですね

沖縄は 今日 明日は まずまずの天気ですが
来週から また梅雨のような日が一週間続くらしいです。

さて
明日当たりは 妻の実家に しばらく行っていなかったので
家が だいぶ 汚れていると 思います
それで
掃除をしに 行くかもしれません。。。。。
妻のほうは
給料をもらって 仕事をしているので
疲れたと 言っています
それで 明日の コンディションしだいです
私は やる気まんまんなのですがね。。。。。。
それから
なんか 連休と言っても
私達は 貧乏ひまなしで
また

金が有るときゃ 暇がない
暇があるときゃ 金がない
わたしゃ どっちもない。。。。。

なんて 面白い言葉が ありますが ほんとだよね。。。。
私は 信仰によって
お金の虚しさは 知っているつもりだけど
それより 大切なものも 有るということは 百も 承知ですが。。。。
現実は
そうは言っても
お金は 無いよりも あるほうが いいです
ある程度 経済的に満たされないと
他の人のことまで 心配する 支える 余裕すらも 出来ないよね。
お金でない 支え方もあるにはあっても
事あるごとに
信仰の場でも 金銭を 求められることも しばしば有ります
そんな時 はっきり言うと 少し 惨めな思いをします
献金すら 思うように 出来ないのかってね。。。。。
だけども
あまり それに囚われすぎると
信仰まで
懐疑心を 持ってしまいますから
躓いてしまいますから
ほどほどのとこで
それでも
神様は 私を 愛してくださると 確信しています。

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今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月27日(金)20時42分23秒
返信・引用 編集済
  なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。

         コロサイ 1:19,20

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今日の命の水

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月27日(金)14時12分55秒
返信・引用
  ☆ 今日のいのちの水 ☆ 2012年4月27日(金)☆

 ☆ すばらしい神様をほめます!ハレルヤ!☆
 ☆ 神は、あなたを愛し,
        あなたを喜ぶために造られた! ☆

「 キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、
隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。
敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。
このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、
平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだとして、
十字架によって神と和解させるためなのです。
敵意は十字架によって葬り去られました。
それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、
近くにいた人たちにも平和を宣べられました。
私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、
父のみもとに近づくことができるのです。
こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、
今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。
あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、
キリスト・イエスご自身がその礎石です。
この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、
主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、
あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」
             エペソ2:14-22【新改訳3】

主の喜びが、あなたの上に注がれますように。(TH)

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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月27日(金)13時51分30秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.27
ルカによる福音書
◆目を覚ましている僕
12:35 「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。
12:36 主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待って
いる人のようにしていなさい。
12:37 主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸い
だ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着
かせ、そばに来て給仕してくれる。
12:38 主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを
見られる僕たちは幸いだ。
12:39 このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒がいつやって来る
かを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。
12:40 あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るから
である。」
12:41 そこでペトロが、「主よ、このたとえはわたしたちのために話してお
られるのですか。それとも、みんなのためですか」と言うと、
12:42 主は言われた。「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食
べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。
12:43 主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は
幸いである。

12:47 主人の思いを知りながら何も準備せず、あるいは主人の思いどおりに
しなかった僕は、ひどく鞭打
たれる。
12:48 しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても
少しで済む。すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、
更に多く要求される。」
****
主が再び来られるときに、目覚めていられるしもべになるようにとイエス様
は勧めています。その場に主人がいてもいなくてもしもべたちの面倒をきち
んと見て、主人が戻ってくる日を期待するような生き方が推奨されているの
です。「12:47 主人の思いを知りながら何も準備せず、あるいは主人の思い
どおりにしなかった僕は、ひどく鞭打たれる。
12:48 しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても
少しで済む。すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、
更に多く要求される。」とありますが、聖書の要求する信仰のあり方は「神
様の心を考えながら行動を決定する」というものです。神様が何を喜び、神
様が何を期待しておられるのかを考えながら行動を決定していくという生き
方は、いわば、自分のことだけ考えて生きるというのとはまったく異なる思
考パターンが要求されます。神様の心を教えられ、その心に沿って生きると
いう生き方こそ、聖書の求める生き方なのです。
祝福がありますように。


++

【空しさの中の真実:コヘレトの言葉】
2:1 わたしはこうつぶやいた。「快楽を追ってみよう、愉悦に浸ってみよう。」
見よ、それすらも空しかった。
2:2 笑いに対しては、狂気だと言い/快楽に対しては、何になろうと言った。
**
「快楽とそれでもたらされる笑い」こそ人生を豊かにするものだと著者は考
え、その中に身を置きますが、結果は「空しい」ということになりました。
笑いは狂気であり、快楽は無意味だと彼は感じています。
おそらく、彼が求めた快楽や笑いは、一般人が求めているものとは比較にな
らない、一流の、高価な、いわば「ハーレム」のようなものだったかもしれ
ません。
しかし、そこでの楽しみが心を満たすことはありませんでした。快楽は一瞬
であり、そのあとは空しさが襲ったのです。快楽的な刺激は、一過性のもの
であり、さらにより強い刺激を求めていくことになります。現代社会におけ
る「ドラッグ」の流行は、まさにそういう光景を表現しているような気がし
ます。私が大学生の頃流行した「イージーライダー」という映画の中に描か
れた快楽への渇望と狂気、虚無感と悲劇的な結末は、まさにここにある言葉
を映像化したような感じさえします。
人生を豊かにする生き方への探求の旅は続きます。
祝福がありますように。


      関根一夫

http:// 

 

4月27日(金)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 4月27日(金)09時16分11秒
返信・引用
  「主はわれらの神であり、われらはその牧の民、そのみ手の羊である。どうか、あなたがたは、きょう、そのみ声を聞くように。」詩篇95:7

神様と私たちの関係が羊飼いと羊にしばしば譬えられます。しかし、私たちは実際の羊たちのように牧者なる神様に信頼しているでしょうか。考えると、羊飼いにとってこれほど扱いにくく、手ごわい羊はいないでしょう。それでも神様は忍耐し、寛容で、愛し続けているのです。今日も主は牧者となり、あなたに先立って進まれます。素直に御声を聞き、従順に従いましょう。(KE)
 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月26日(木)21時55分35秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.26
ルカによる福音書
12:31 ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与え
られる。
12:32 小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。
12:33 自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を
作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫
も食い荒らさない。
12:34 あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」
***
「神の国」とは「神による支配」あるいは「神の愛と清さ、希望と力の充満」
とでも言ったら良いでしょうか。
「小さな群れ」とここにあるのは、教会のことであり、キリストを信頼して
いる複数人の集団のことです。そういう小さな集団に、惜しみなく神はその
愛と希望と力を充満させてくださいます。
貧しくても、困った人がいたら助ける心を持ち、そういう愛の助力によって
天に宝を積み上げることになるのだとイエス様は教えました。人は、「富」
や「宝」に心を支配されているので、それが天にあるか銀行にあるかによっ
て行動が変わってきます。
神の国の富が添えられていることを信じて、人へのやさしい助力の心、共感
の心、そして行動が生まれると良いですね。そのためにも、神の国を求める
必要があるのです。神の支配の中に生きるとは、天における神様との完全に
満たされた生活を意識しながら生きるという面があります。
祝福がありますように。


++

【空しさの中の真実:コヘレトの言葉】
1:12 わたしコヘレトはイスラエルの王としてエルサレムにいた。
1:13 天の下に起こることをすべて知ろうと熱心に探究し、知恵を尽くして調
べた。神はつらいことを人の子らの務めとなさったものだ。
1:14 わたしは太陽の下に起こることをすべて見極めたが、見よ、どれもみな
空しく、風を追うようなことであった。
1:15 ゆがみは直らず/欠けていれば、数えられない。
1:16 わたしは心にこう言ってみた。「見よ、かつてエルサレムに君臨した者
のだれにもまさって、わたしは知恵を深め、大いなるものとなった」と。わ
たしの心は知恵と知識を深く見極めたが、
1:17 熱心に求めて知ったことは、結局、知恵も知識も狂気であり愚かである
にすぎないということだ。これも風を追うようなことだと悟った。
1:18 知恵が深まれば悩みも深まり/知識が増せば痛みも増す。
+++
イスラエルの王としてエルサレムにいたというコヘレトは、世の中のすべて
のことを知ろうと努力し、まず、知恵を深めようとしたようです。そして知
恵で有名になり、知者としての地位を築きました。
しかし、彼の結論は、知恵を求めても空しく、風を追うようなものであり、
知恵が深めれば悩みが増し、知識が増せば痛みも増すだけだとのこと。問題
解決の方法を知っていても、問題が片付くわけではなく、人の心のゆがみま
では直せないし、意欲がなければ教えることもできないのです。しかも勉強
は楽しいばかりでなく、結構辛い作業だと告白しています。
この文章は、学生には読ませたくない文章ですね。しかもこれは理論ではな
く、著者の体験的な告白なので、結構重い言葉ですね。
私は修士課程を修了したとき、ますます知らないことだらけの自分を痛感さ
せられましたが、怠惰だった自分に責任がありましたので、知恵が深まれば
悩みも深まるという経験とはつながっていませんでした。
いつか、そこまで到達できたらいいなと思うことがあります。
いずれにしても、著者は教育による知識の獲得に幻滅を感じ、空しさを感じ
ています。
学生の皆さんは、5月の連休を前に履修要綱を投げ出してしまわないように気
をつけてくださいね。
こう言えるほど勉強してからにしてください。
祝福がありますように。


    関根一夫







http:// 

 

4月26日(木)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 4月26日(木)08時26分47秒
返信・引用
  「あなたがたの地の実のりを刈り入れるときは、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの刈入れの落ち穂を拾ってはならない。」レビ19:9

画家ミレーの名画「落穂拾い」を思い出させる言葉ですが、旧約時代の律法の一つです。現代風に言うならば、いただく収入のすべてを残さず自分のために使い尽くしてはならない、と言うことです。収入の幾分かを弱い人、貧しい人などのために取り分けることを神様は願っているのです。それはまた私たちが神様に養われていることを証しする行為でもあります。(KE)
 

4月25日(水)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 4月25日(水)18時01分27秒
返信・引用
  「あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するなら、あなたがたは自分の服従するその者の僕であって、死に至る罪の僕ともなり、あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのである。」ローマ6:16

 人は何かに縋らなければ生きることができません。なぜなら、人は神様に頼って生きるように造られたものだからです。人それ自身は単なる器にすぎません。しかし、罪の力に握られると、人を傷つける凶器になります。神様の手に握られるとき、有益な器となり、世の光、地の塩となるのです。今日、あなたは誰の僕ですか。(KE)
 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月25日(水)13時20分36秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.25

ルカの福音書(新改訳による)

12:22 それから弟子たちに言われた。「だから、わたしはあなたがたに
言います。いのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのこと
で何を着ようかと心配したりするのはやめなさい。
12:23 いのちは食べ物よりたいせつであり、からだは着物よりたいせつ
だからです。
12:24 烏のことを考えてみなさい。蒔きもせず、刈り入れもせず、納屋
も倉もありません。けれども、神が彼らを養っていてくださいます。あ
なたがたは、鳥よりも、はるかにすぐれたものです。
12:25 あなたがたのうちのだれが、心配したからといって、自分のいの
ちを少しでも延ばすことができますか。
12:26 こんな小さなことさえできないで、なぜほかのことまで心配する
のですか。
12:27 ゆりの花のことを考えてみなさい。どうして育つのか。紡ぎもせ
ず、織りもしないのです。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄
華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはい
ませんでした。
12:28 しかし、きょうは野にあって、あすは炉に投げ込まれる草をさえ、
神はこのように装ってくださるのです。ましてあなたがたには、どんな
によくしてくださることでしょう。ああ、信仰の薄い人たち。
12:29 何を食べたらよいか、何を飲んだらよいか、と捜し求めることを
やめ、気をもむことをやめなさい。
12:30 これらはみな、この世の異邦人たちが切に求めているものです。
しかし、あなたがたの父は、それがあなたがたにも必要であることを知
っておられます。
12:31 何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、
これらの物は、それに加えて与えられます。
+++
心配しなくてよいということは、決して無頓着で良いということではな
いと思います。心配するというのは、心を悩ませ、思いわずらい、悲観
的に自分で何とかしなければと無理をさせる要素を含んでいます。問題
だけを目の前に近づけて見、自分の能力だけを考え、神様の約束に心を
向けず、他者の善意にも心を開かないなどの態度が心配を生みだす要素
なのかもしれません。
神が養ってくださることを信頼し、その助けを当てにしつつ、自分の最
善を願い、丁寧に取り扱えば良いのです。
神に知られ、神の温かいケアの心がいつでもあなたに向けられているこ
とを信じて、日々を過ごすことができたらどんなに気持ちが楽になるこ
とでしょう。
神の国を求めて生きるとは、神の支配が自分にも届くことを信じて生き
ることです。
今日一日がそういう一日になりますように。
祝福を心から祈ります。

+++

【空のなかの真実:伝道者の書】(新改訳による)

1:5 日は上り、日は沈み、またもとの上る所に帰って行く。
1:6 風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、そ
の巡る道に風は帰る。
1:7 川はみな海に流れ込むが、海は満ちることがない。川は流れ込む所
に、また流れる。
1:8 すべての事はものうい。人は語ることさえできない。目は見て飽き
ることもなく、耳は聞いて満ち足りることもない。
1:9 昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも
起こる。日の下には新しいものは一つもない。
1:10 「これを見よ。これは新しい。」と言われるものがあっても、それ
は、私たちよりはるか先の時代に、すでにあったものだ。
+++
日、風、そして川は、常に変わっているようでいながら、同じことの繰
り返しのように思える。変化があるようでも、そこに存在するという面
では何も変わっていないので、循環しているだけのことでいわばゴール
が無いように感じるのです。人間の苦労も同じことの繰り返しではない
かというわけです。

方丈記を書いた鴨長明は「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水
にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくと
どまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
」と記し「無常」という仏教の言葉と重ね合わせて、「常に同じものは
この世には無い」と強調しました。とはいえ、世の中に常なるものはな
いけれども、河の流れ自体は途絶えないことを理解し、常に変化してい
るものと、変わらないものとがあることを認めています。
こういう思想はとても大事な生命観でもあります。私たちの体やいのち
も同じようにとらえることができるからです。

事象は変わります。でも、同じことは前にも起こったことがあることな
のです。人間の経験も同じかもしれません。
静かな秩序の循環の中に私たちは置かれているように感じます。そんな
中で私たちは、意欲や希望をどう育てていけばよいのでしょう。いろい
ろ課題が見えてくる序の言葉です。
祝福がありますように。


     関根一夫







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梅雨のような天気の沖縄

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月24日(火)22時54分48秒
返信・引用
  このところ
沖縄は
曇りと小雨ばかりで
あたかも 梅雨が 来たようです
気温も暖かく 湿度が多いです。
こんな天気は
移住者でもある私には 嫌なものです
夜も 暑さと 湿気で 寝づらいし 気分も めいってきます
また
洗濯物が 中々乾かないので こちらも 大変です。
雨が続く時は
室内に干したりも致しますから
余計に うっとおしいです。

それから
今日は
妻が 仕事場の 新しいメンバーとの 交流会とかで
どこかの お食事どころで
仕事のメンバー一同で 一緒に 食事を するそうです。
私は
今日の夕食は 一人ですが
妻が 気を使ってくれて 牛肉を 奮発してくれました
それで
夕食は 一人ステーキ食事会です。
感謝です
お肉も 久しぶりだ。。。。。

とにかく
早く 快適な天気が 続くことを 祈っています。

http:// 

 

4月24日(火)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 4月24日(火)21時01分43秒
返信・引用
  「主よ、あなたのみわざはいかに多いことであろう。あなたはこれらをみな知恵をもって造られた。地はあなたの造られたもので満ちている。」詩篇104:24

 近くの公園を散歩すると鬱蒼とした木々に薄緑の若葉が芽生え、春の日差しを受けて命に輝いています。一年でこの時期ほど躍動感にあふれたときはないでしょう。まさに神様の創造のわざが進行中であると思わされます。山川草木は言うに及ばず、生きとし生けるものすべて神様のみ手によるものです。私たちもまた神様のみわざであることを覚えておいてください。(KE)
 

今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月24日(火)19時55分27秒
返信・引用
  神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。


          第一ヨハネ 4:9

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今日の命の水

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月24日(火)19時34分28秒
返信・引用
  ☆ 今日のいのちの水 ☆ 2012年4月23日(月)☆

 ☆ すばらしい神様をほめます!ハレルヤ!☆
 ☆ 神は、あなたを愛し,
        あなたを喜ぶために造られた! ☆

「 わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。
遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。
わが神。昼、私は呼びます。しかし、あなたはお答えになりません。
夜も、私は黙っていられません。けれども、
あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。
私たちの先祖は、あなたに信頼しました。
彼らは信頼し、あなたは彼らを助け出されました。
彼らはあなたに叫び、彼らは助け出されました。
彼らはあなたに信頼し、彼らは恥を見ませんでした。
しかし、私は虫けらです。
人間ではありません。人のそしり、民のさげすみです。
私を見る者はみな、私をあざけります。彼らは口をとがらせ、頭を振ります。
「【主】に身を任せよ。彼が助け出したらよい。
彼に救い出させよ。彼のお気に入りなのだから。」
しかし、あなたは私を母の胎から取り出した方。母の乳房に拠り頼ませた方。
生まれる前から、私はあなたに、ゆだねられました。
母の胎内にいた時から、あなたは私の神です。」
         詩編22:1-10【新改訳3】

主の喜びが、あなたの上に注がれますように。(TH)

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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月24日(火)19時21分59秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.24
ルカによる福音書
◆「愚かな金持ち」のたとえ
12:13 群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように
兄弟に言ってください。」
12:14 イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官
や調停人に任命したのか。」
12:15 そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさ
い。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることも
できないからである。」
12:16 それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だっ
た。
12:17 金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡
らしたが、
12:18 やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、
そこに穀物や財産をみなしまい、
12:19 こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだ
けの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』
12:20 しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前
が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。
12:21 自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおり
だ。」
****
貪欲に関する警告を含んだ例え話です。
日本語では十分に伝わってきませんが、原文ではこの農夫の発言は「どうし
よう、わたしの作物をしまっておく場所がない」「こうしよう。私の倉を壊
し・・・私の穀物や私の財産を…」そして「私の魂に言ってやるのだ」とい
う風に「わたし」がいたるところに強調されているのです。イエス様が語っ
ているように、本当にこの人は自分のことしか考えていないのです。もちろ
ん、自分のことを考えることは大事なことで、自分のことを無視することは
よくない事です。自分自身に無頓着すぎるのは悪いことだと思います。
しかし、それにも限度があって、自分の心を神様とのかかわりの中に置いて
物事を考えることが人間として大事なことなのです。やがて、死がやってき
たとき、物自体は残っても、その人の存在と神との関係が皆無であれば、そ
の空しさは永遠的なものになってしまうわけです。
今、品物に恵まれていれば、すべて良いという考え方は、永遠を視野に入れ、
神との関係を視野に入れた人生を教えている聖書の世界からすると、実に刹
那的であり、一瞬のうちに流されてしまう可能性のある人生ということにな
ります。品物があること自体はすばらしいことだと思います。それに対して
神に感謝し、周囲と分かち合う心があるといいですね。独り占めは、独りよ
がりなどは、あまり歓迎されないわけですね。ちょっとイエス様の論点とズ
レましたね。失礼。
祝福がありますように。



++

【空しさの中の真実:コヘレトの言葉】
1:1 エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉。
1:2 コヘレトは言う。なんという空しさ/なんという空しさ、すべては空し
い。
1:3 太陽の下、人は労苦するが/すべての労苦も何になろう。
1:4 一代過ぎればまた一代が起こり/永遠に耐えるのは大地。
****
口語訳聖書や新改訳聖書では「伝道者の書」という題名になっていますが、
新共同訳聖書では「コヘレトの言葉」となっています。このコヘレトという
言葉は旧約聖書の中で、この文章にしか使われていないものです。集会を召
集するもの、集会で語る者という意味があるようです。
だからこそ、伝道者と別の聖書は訳したのでしょう。知恵文学と呼ばれてい
るジャンルに入る文章で、空しさ、楽しさが入り混じり最終章で結論が書か
れています。全体的には悲観的であり、空しさが中心に語られている重苦し
さを含んだ人生訓的文章です。
これから、コヘレトの語る言葉を少しずつ読んでいきます。
最初から、「空しい」と語り、永遠性を感じられるのは大地だけだと語って
います。
これからの暗さが暗示されているような文章で始まっています。果たして元
気になれる教説があるのかどうか不安になりますが、現実と向き合うために
は、こういう文章をしっかり心にとどめておくことも必要だと思います。
最後までお付き合いくださいね。
祝福がありますように、


     関根一夫






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4月23日(月)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 4月23日(月)21時42分50秒
返信・引用
  「すべて、心から喜んでする者は、主にささげる物を持ってきなさい。」出エジプト35:5

 神様が求められるのは、どんなことであっても、自発の行為です。強いられたり、嫌々ながらであったり、惰性や習慣ではなく、神様のために“心から喜んで”することを願っています。信仰に生きるとは物や行為ではなく、それらの背後にある心の状態です。自由意思により喜びと感謝をもってなされるなら、それらは清いもので神様が受けてくださいます。今日の一日を心から神様のものとして奉げ、主に仕える喜びを体験してください。(KE)
 

関根弘興牧師様を 関根一夫牧師様の身内と勘違い

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月23日(月)11時50分3秒
返信・引用
  昨日
22日の主日礼拝に 沖縄バプテスト教会に行きましたら
小田原のほうで 牧会されてあるという
関根弘興牧師様が
特別に
本日は メッセージをされるということでした
この牧師様は
キリスト教関連のテレビ番組 ライフラインの司会も
されておられるとのことで
私を ただの司会する おじさんと
テレビを 見ている方たちは 思われているそうですが
私も 30年以上 牧会している牧師なんですよ
開拓伝道からはじめた 今の教会の牧師でもありますよ
3年くらい 信徒が 誰もいなくて
家族でもある牧師様が来られて
おまえはいいなーーーーーっ
信徒が減る心配が無いからな なんて ことも 言われたそうです。
このような ユーモラスな自己紹介も ありました。
しかも
この牧師様の一族は
ほんとに 日本各地で 牧師様をされているとのことでした
そのときに
私は もしや ここで メッセージを 掲載させてもらっている
関根一夫牧師様も身内なのかなと 勘違いしていました
同じ 関根という姓なので 単純にそう思ったのです。。。。。
そして この日の
メッセージの内容は
詩篇121篇からで「守られて生きる」と いうタイトルでした。
関根弘興先生によると
守られるとは 見ているとのことであると
力あるメッセージをされ
大きな声と 迫力のあるジェスチャーと
とても ジェントルな なんとも 洗練されたメッセージでした
私達は
*守られる* と いうと
神様が なにか 悪いことや 不運な事を
一切 取り除いてくださるのだと
勝手に そう 思いがちに なりますが
そうではなくて
どんな時にも 見てくださっているということらしいです
その中には
その人にとって 当座 悪いことのように思えることも
それすら 後になれば
この失敗 この失態 挫折 苦しみ 困難 があったゆえに
今の成功が 今の最善がある と いうことに なるとのことで
なるほどと思いました。
子供が 一番安心するのは
*お父さんが 見ているから 大丈夫だよ*という 言葉らしいです。
そのことゆえに
子供は のびのびと 安心して 何でもにトライするらしいですよ。
そうか
天のお父様とは そのようなそんざいかもなって 私に言いかけました。
メッセージに 感謝でありました。
それから
メッセージにおいては
語る側もですが
それを受け取る側の姿勢も 大切とのことでした
ただ
聞いて終わるだけか
それを
では やってみようと 行動に移すか 問われますよね。
それから
この日は 私の好きな 賛美が 連続してありましたので
歌いつつ歩まん♪ 聖なる聖なる♪
ほんとに 恵まれた 礼拝でした。

ハレルヤ 主に 感謝です。

http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月23日(月)10時29分9秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.24
ルカによる福音書
◆イエスの仲間であると言い表す
12:8 「言っておくが、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い
表す者は、人の子も神の天使たちの前で、その人を自分の仲間であると言い
表す。
12:9 しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、神の天使たちの前で
知らないと言われる。
12:10 人の子の悪口を言う者は皆赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は赦
されない。
12:11 会堂や役人、権力者のところに連れて行かれたときは、何をどう言い
訳しようか、何を言おうかなどと心配してはならない。
12:12 言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。」
+++
クリスチャンであることを表明することがそのまま迫害につながるという時
代がずいぶん長く続きました。そういう時代にはクリスチャンであることを
表ざたにすることは苦難を意味していましたから、恐れを感じで黙ってしま
う人や知らないと言ってしまう人もいたのだと思います。12弟子の一人、ペ
トロでさえ、そういう出来事を通過したことがありました。人への恐れで、
つい否定してしまうことはあるのです。信じているのに、それが言えないと
いう苦しみを神様はわかっておられます。ただ原則的には、キリストを信じ
ているのかと尋ねられたら、はい、私はその仲間ですと答えるように求めら
れています。イエス様に愚痴を言っても文句を言っても良いのです。赦され
ます。
そして、迫害を受け裁判になったとき、語るべきことは聖霊が教えて下さる
から心配しないようにイエス様は教えました。
聖霊を冒涜するとは、聖霊の働きかけをわかっていながら、故意に拒否し、
軽蔑的な態度であざ笑う態度を取り続けることです。神は「救いなど絶対に
いりません。私に聖霊の働きなど効き目はないし、無用です」と言い続ける
人に「それでは、そのようになりなさい」と神が宣言なさる日があるという
ことです。だからこそ、そういう人が「神を知り」、「神の希望と力を知り」、
「神の愛」を知ることができるように祈る必要があるのです。
祝福がありますように。


++

【癒す言葉:箴言】
◆有能な妻(つづき)
31:23 夫は名を知られた人で/その地の長老らと城門で座に着いている。
31:24 彼女は亜麻布を織って売り、帯を商人に渡す。
31:25 力と気品をまとい、未来にほほえみかける。
31:26 口を開いて知恵の言葉を語り/慈しみの教えをその舌にのせる。
31:27 一族の様子によく目を配り/怠惰のパンを食べることはない。
31:28 息子らは立って彼女を幸いな人と呼び/夫は彼女をたたえて言う。
31:29 「有能な女は多いが/あなたはなお、そのすべてにまさる」と。
31:30 あでやかさは欺き、美しさは空しい。主を畏れる女こそ、たたえられ
る。
31:31 彼女にその手の実りを報いよ。その業を町の城門でたたえよ。
***
働き者の理想的な妻が、同時に、気品に満ち、知恵の言葉、慈しみの教えを
語り、主を畏れる人でもあることが表現されています。
こういう女性は、理想の人として描かれているのだと思いますが、こういう
資質は女性ばかりでなく男性にも求められる要素だと思います。
それにしても箴言の最後の章にこういう描写が置かれているのは、なぜなの
でしょう。こういう人を妻として迎えなさいという忠告なのか、こういう人
は真珠よりも貴重だと言われていますから、まさに理想上の人物として描か
れ、こういう人がいたらいいなぁということなのか、どうなのでしょう。
ご夫婦でお互いに、ここに描かれている人とは程遠いけれど、「よろしくお
願いします」と分かち合えれば、幸せなのかもしれません。(箴言了)


関根一夫








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スウィーツバイブル   みのみの

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月22日(日)23時47分26秒
返信・引用
  こんにちは。
今日もスィーツな聖書のみことばをご一緒に味わい楽しみましょう。
今日の聖書箇所は、前回に引き続きローマの信徒への手紙10章1-2節です。


―――――――――――――― 今日のみことば ――――――――――――

10:1 兄弟たち、わたしは彼らが救われることを心から願い、彼らのために神に祈っています。
10:2 わたしは彼らが熱心に神に仕えていることを証ししますが、この熱心さは、正しい認識に基づくものではありません。


――――――――――――――今日のお勧め――――――――――――――

今日から10章に入りました。その前に9章の復習をここでしましょう。
前章の9章から、パウロは自分の同胞であるイスラエルについて論じています。
本来なら8章の最後の感動的な結論から、次に12章に進んでもよいのですが、パウロは3章も割いてイスラエルの問題について書いています。
どうでもよかったらこんなに割かないですよね。ある人たちはこのイスラエルのことについて書かれている9,10,11章は次の12章の挿入句であり、今日の私たちにはそれ程重要ではないと位置づけています。本当にそうですか?もしそうならこんなにも長い文章が必要なのでしょうか?
つまり、この9,10,11章はとても重要な箇所で、パウロがどうしても外すことの出来ない、ローマの教会の人たちに伝えたいことだったのです。それは今日においても同じで重要な3章です。

さて、前章の9章ですが、3つのことを学びました。
1、【イスラエルには特権が与えられている】:
イスラエルの民には特権が与えられています。パウロはその特権を7つ取り上げました。

「彼らはイスラエルの民です。神の子としての身分、栄光、契約、律法、礼拝、約束は彼らのものです。先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。」(9:4-5前半)

これらは全てイスラエルの民にだけ与えられた特権です。異邦人である人たち、つまり私たち日本人には全く関係の無いことであり、この特権からは外されていました。もちろん韓国人であれ、アメリカ人であれ、ユダヤ人以外の人たち全員です。

イスラエルの民はこんなに素晴らしい特権が与えられているにもかかわらず、彼らのためのメシア、つまり救い主であるイエス様を拒否したのです。その結果があの十字架です。イエス様はもともとイスラエルのメシアとしてこの地に来られたのです。

2、【イスラエル人の一部しか救われていないのは、それは神の計画なのである】:
イスラエルは民族的にはイエス様を拒否しました。しかし少数派ですが、旧約聖書の時代から今日に至るまで真の神様を信じ従う者が起こされていました。

パウロはこのことを6節からの箇所で解説しています。
パウロはそこで、「アブラハムの子孫だからと言っても全員救われるのではない」と言っています。神様はアブラハムと子孫を通して救い主を起こすこと、そして彼らの子孫が祝福されることを約束され、契約を結ばれました。この契約は今日に至るまで継続中です。

アブラハムから2人の子どもが生まれました。1人はエジプト人の召使いハガルとの間に生まれたイシュマエル、もう1人はアブラハムの正妻サラとの間に生まれたイサクです。
約束の子孫は最初に産まれた腹違いの長男イシュマエルではなく、弟のイサクです。
また、イサクの子どももエサウとヤコブがいましたが、これも長男ではなく弟が神様の契約の子孫の流れとなりました。

こうやって神様の主権により、救われる者が選ばれたのです。
今日に至るまで、こうやって神様が救われる民を選ばれています。旧約聖書の時代もどんなに民が堕落しても、その中で神様だけを信じ従った者がいました。新約の時代もそうです。そして今日に至るまでそれが続いています。イスラエルの民は今日に至るまで多くの迫害を受けてきましたが、神様を信じる人が必ずどの時代にもいました。
今日のその人たちはメシアニックジューと言って、メシア、つまり真の救い主であるイエス様を信じ受け入れたユダヤ人という意味なのですが、このメシアニックジューの人たちがそうです。
何故ユダヤ人クリスチャンと言わないのかというと、それは私たち異邦人がこの「クリスチャン」という言葉で彼らを散々迫害してきたからです。イエス様を信じてもユダヤ人であり、神様の特権も変わらず彼らのものなのです。

3、【何故イスラエル人の一部しか救われないのか】:
それは神様が選ぶ権威を持っておられ、ご自身の権威によって誰を救うかを選ばれているのです。私たちはそれに対して文句を言う資格はありません。
例えば焼き物師は同じ粘土から一つを尊いことに用いる器に、もう一つを尊くない、ある意味どうでもいいことに用いる器に造る権限がありますよね。
ところが尊くないことに用いる器がしゃべれたとして、「先生、どうして私をこんな器に造ったんですか?こんなの不公平です!!」ってクレームをつけること、できますか?
出来ないですよね。それは焼き物師の権限で、彼の思いのままに造るのであって、造られた器には文句を言う資格は全く無いです。

それと同じです。
神様はご自身の権限によって、主権によって救われるべき人を選ばれたのです。
しかもその選びはイスラエルの民だけではなく、異邦人である私たちにも及んでいるのです。

イスラエルの民はどうしてつまずいてしまったのでしょう?
それは彼らが福音を理解しなかったからです。そして行いによって救われるかのように思ったからです。彼らは努力して一生懸命頑張って神様がモーセを通して与えられた律法を守ろうとしました。
それだけではなく、その上「口伝律法」といって、ラビ(祭司)たちが律法をより具体的に守るために付け加えた律法があるのですが、それをも懸命に守ろうと努力したのです。
彼らはその努力によって義とされ、栄光を受けることが出来ると信じたからです。

しかし福音は違います、「信仰義認」、つまりイエス様が十字架に架かられ死んだこと、その後墓に葬られたこと、そして3日目に肉体を伴って生前の姿形で復活されたこと、それを信じ受け入れるだけで、その瞬間に神様から義と認められるのです。

これが9章の内容です。
次回から10章を学びますが、私たちが忘れてはいけないのは、この「信仰義認」ということです。
救われる時はそうですね、イエス様を信じ受け入れるだけで良いと言われ、信じました。
ところが問題は信じた後です。クリスチャンの歩みは努力が伴うとか、信仰という名で新たな口伝律法を作り出され、それに従うことが祝福への道のような教えで頑張って奉仕し、伝道し、献金し、礼拝出席、祈祷会出席したり。。。。
それらは全部イスラエルの民が失敗したのと同じ事です。伝道しないと主は喜ばれない、嘘です。奉仕しないと祝福されない、これも嘘です。主が喜ばれること、それは頑張ることでも努力することでもありません。主に依り頼み、主の中で安らぐこと、主に人生の全てをお任せすることです。

「信じたわたしたちたちは、この安息にあずかることができるのです。」(ヘブル4:3)
「なぜなら、神の安息にあずかった者は、神が御業を終えて休まれたように、自分の業を終えて休んだからです。」(ヘブル4:10)

祝福を祈ります、キリストの愛を込めて。。。。


★☆★☆★☆★☆

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礼拝説教

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月22日(日)20時26分51秒
返信・引用
  MACF礼拝説教
2012.04.22

エフェソの信徒への手紙から 02
【パウロの祈り】
1:15 こういうわけで、わたしも、あなたがたが主イエスを信じ、すべての聖
なる者たちを愛していることを聞き、
1:16 祈りの度に、あなたがたのことを思い起こし、絶えず感謝しています。
1:17 どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、
あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、
1:18 心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような
希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄
光に輝いているか悟らせてくださるように。
1:19 また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほ
ど大きなものであるか、悟らせてくださるように。

エフェソの信徒への手紙の中にはパウロの祈りが2箇所書かれています。教会
のための祈りですが、個人のためのものとしても学びたいと思います。

1)存在への感謝

1:15 こういうわけで、わたしも、あなたがたが主イエスを信じ、すべての聖
なる者たちを愛していることを聞き、
1:16 祈りの度に、あなたがたのことを思い起こし、絶えず感謝しています。
祈るとき、パウロはエフェソの人たちの存在を神に感謝し、神の恵みを知る
彼らのことを喜んでいます。
パウロの祈りは、愛に基づくものでした。単に義務感ではなく、彼らのこと
を喜び、感謝しながら、主の祝福を願い求めています。

2)神を深く知ることができますように

祈りの項目の最初にあげられているのは、彼らが神を深く知ることができる
ように、そのための知恵と啓示の霊が与えられるようにというものです。
パウロは確信しているのです。彼らがどういう状況にあるにせよ神を深く知
ることによって解決や平安がもたらされるということを。人間による助けは
大きいものですが、最終的には、彼らの心の目が開かれ、神を深く知ること
によって、より大きな平安を得ることができるのです。
神を知るとは、みことばを通して神を深く理解することであり、また体験的
に神ご自身の偉大さとその恵みを深く悟ることでもあります。ただ知識とし
て神について知るということだけではありません。
神について知るということは大事なことですが、神を知るという、いわば直
接的な、霊的な体験として知ることが重要です。そして、パウロは個人個人
の生活の中で「神を知る」ことができますようにと祈るのです。
みことばで神の愛を深く実感すること、礼拝で神を経験すること、心が温か
くなるような出来事はとても貴重な体験です。

3)神の与える希望

次にパウロは、「そして、神の招きによってどのような希望が与えられてい
るか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟
らせてくださるように。」と祈っています。
神に知られているということがどれほど大きな希望に通じているか、理解で
きるようにとパウロは祈っているのです。これから先、神の計画の中で私は
どう生きられるのだろう。神は私を通してどんなことをなさろうとしている
のだろうと人生を希望的に考える心が与えられると、前向きに生きることが
始まります。私が人生から何を得ることができるのかという考えでなく、神
が私の人生をとおして何をなさろうとしているのだろうと考える生き方こそ、
希望的な生き方になります。

4)神の力

1:19 また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほ
ど大きなものであるか、悟らせてくださるように。
パウロは、続けて、神の力の絶大さを悟ることができるようにと祈っていま
す。そして、イエス様をよみがえらせた父なる神の力について語っています。
死を打ち破るほどの力、死者をよみがえらせるほどの力ある神を深く知るこ
とが出来るようにとパウロは祈っているのです。「神が共にいてくださる」
とよく言いますが、「死を打ち滅ぼすほどの力ある神が、共にいてくださる」
のですから、大いに安心できるのです。

パウロは3章の中にも祈りの言葉を書いています。
3:14 こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。
3:15 御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。
3:16 どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあ
なたがたの内なる人を強めて、
3:17 信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを
愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。
3:18 また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、
長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、
3:19 人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、
神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるよう
に。
3:20 わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったり
することすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、
3:21 教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくあ
りますように、アーメン。

5)内なる人を強め、キリストを住まわせて

パウロはここで、彼らが心にキリストが内住していることを悟り、キリスト
の心を動機付けにして生きられるようにと祈っています。
キリストが心のうちに住んでいるというのは、私たちの心の中心にキリスト
の心が重なっていることを意味しています。ですから、キリストの心で生き
られますようにということになります。
イエスキリストを救い主として信じているなら、イエス様は私たちの心に住
んでくださいます。
そして、私たちの心を守り、聖霊によって私たちの心に愛を満たしてくださ
います。

6)人知を超えた神の愛を知ることができますように

パウロは終わりに、彼らが人知を超えた神の深い愛を知ることが出来ますよ
うにと祈っています。
神の祝福は、神の愛を深く心の中に受け止め、また、イエス様によって示さ
れた犠牲的な愛を自分に対するものとして体験することによってもたらされ
ます。

実はパウロはこの手紙を牢獄の中で書いています。つまり、彼は手伝いたく
てもそこに行くことができず、物を提供したくても品物もなく、彼が牢獄の
中で勤しんでいるのは、手紙による教えと祈りでした。祈ることで人を励ま
し、祈ることで人を守るという生き方を、私たちも学ぶ必要があります。

私たちは、人々の祝福を祈ります。それぞれの方法で、心に浮かぶ人のため
に神に助けや守りや祝福を祈ります。時に祈りのリクエストを書いて貰って
祈ることもあります。しかし、その人が紙にそれを書いているとき、神様は
それを知っていてくださいます。
パウロは、彼らと神との交わりの深まりを祈っています。彼らが神を知り、
神の希望、神の力、神の愛を体験できるようにと祈っています。神様と確実
な出会いを体験できるようにと祈っています。教会の力が試されるとすれば、
この部分です。
私たちは、即物的な、あるいはご利益的な「癒し」「助け」「支援」を祈り
ます。それはとても大事なものであり、具体的に必要なものですから、祈る
ことは正しいことです。もちろん、具体的な助けができるなら、それは祈ら
ずに、さっさと実行すべきなのかもしれません。
しかし、何もできないとしても、相手の人生に対する究極的な祝福や支援を
考え、その人たちが神様との親密な交わりを深めることを願い祈ることは重
要です。
神様との出会い、神様による希望、安心がもたらされるように祈り、支える
ことこそ、そこに人間の根源的な安心感があると信じて祈りましょう。
祝福を祈りあいましょう。


      関根一夫







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4月22日(日)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 4月22日(日)08時43分49秒
返信・引用
  「もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。」ローマ8:31

“もし”と言われていますが、ここでは決して仮定の話ではなく、“その通りなのだ”と強調する表現です。神様はひとり子すら惜しまずに私たちを救ってくださった方です。どんなことがあっても、見捨てないどころか、私たちの側に立って味方してくださると言われるのですから、「鬼に金棒」どころではない、強力な後ろ盾です。だから、幼子のように、素直な心になって見えない神様のみ手を信じてゆだねましょう。(KE)
 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月21日(土)22時02分11秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.21
ルカによる福音書
◆恐るべき者
12:4 「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以
上何もできない者どもを恐れてはならない。
12:5 だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む
権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。
12:6 五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さ
え、神がお忘れになるようなことはない。
12:7 それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。
恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
****
人を恐れて臆病になることは誰にでもあることですが、案外、神を恐れるこ
とは少ないようです。
しかし、神こそ私たちへの永遠の判定を下すことが出来るお方なので、その
お方の前に生かされていることを厳粛なこととして理解する必要があるとイ
エス様は教えました。
神は、永遠の裁きをもたらすお方として恐るべきお方だけでなく、私たちを
知っていて守ってくださるお方でもあります。私たちの髪の毛の本数さえも
知っておられ、わたしたちひとりひとりを価値ある存在として見ていてくだ
さるお方なのです。
厳しさと優しさを持っておられる神を恐れ、敬うことは、礼拝の心に通じて
います。
「神に知られている」という安心感をもって生きられることは幸いなことで
す。
祝福がありますように。


++

【癒す言葉:箴言】
◆有能な妻
31:10 有能な妻を見いだすのは誰か。真珠よりはるかに貴い妻を。
31:11 夫は心から彼女を信頼している。儲けに不足することはない。
31:12 彼女は生涯の日々/夫に幸いはもたらすが、災いはもたらさない。
31:13 羊毛と亜麻を求め/手ずから望みどおりのものに仕立てる。
31:14 商人の船のように/遠くからパンを運んで来る。
31:15 夜の明ける前に起き出して/一族には食べ物を供し/召し使いの女た
ちには指図を与える。
31:16 熟慮して畑を買い/手ずから実らせた儲けでぶどう畑をひらく。
31:17 力強く腰に帯し、腕を強くする。
31:18 商売が好調かどうか味わい/灯は夜も消えることがない。
31:19 手を糸車に伸べ、手のひらに錘をあやつる。
31:20 貧しい人には手を開き、乏しい人に手を伸べる。
31:21 雪が降っても一族に憂いはない。一族は皆、衣を重ねているから。
31:22 敷物を自分のために織り、麻と紫の衣を着ている。
****
ここに書かれている「有能な妻」は、まさに当時の理想の女性像だったかも
しれません。この人の家庭には信頼感と奉仕の精神があふれています。衣食
住のすべてにおいて、彼女はよく働き、貧しい人にも助けの手を伸ばしてい
ます。
女性の社会的位置づけは低かった時代ですから、こういう文章があること自
体とても珍しいのですが、箴言には母親からの教訓がたくさんありますので、
自分の母親の生き方を書き写したものかもしれません。
ここには、重要な労働力としての女性の姿が書かれています。ちょっと男ま
さりと感じるほど力強い姿が描かれています。そういえば、イサクの妻リベ
カも実によく働く女性でしたね。
しかし、有能な妻も、有能な夫も、「どこにでもいる」わけではないですね。
真珠よりはるかに貴い存在だとすれば、それはきわめて稀なことですものね。
こういう妻がいたらいいなという理想を書いた詩のような感じがします。
「あなたは、わたしにとって大切な存在です。いてくれてありがとう」と分
かち合える存在であれば、これほど有能でなくても支えあえるのだと思いま
す。
祝福がありますように。







http:// 

 

4月21日(土)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 4月21日(土)14時51分33秒
返信・引用
  「信仰によって、彼は王の憤りをも恐れず、エジプトを立ち去った。彼は、見えないかたを見ているようにして、忍びとおした。」ヘブル11:27

モーセはエジプト王の娘の子として育ちました。しかし、自分の出自を知り、神の民として生きる道を選びました。エジプトに居れば不自由のない生活は保障されたでしょう。しかし、彼は目には見えない神様を見上げて、困難をもものともしないで、神様の祝福を受ける決断をしたのです。そのことが彼をして神の民の指導者として用いられたきっかけです。あなたはどの道を選びますか。(KE)
 

今度は。。。。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月20日(金)11時03分58秒
返信・引用
  北朝鮮に続き
今度は
インドが 核弾頭ミサイルの 発射実験をしましたね
それは 目標に命中して 成功だったようで
アメリカ ロシア につぐ
世界で 3番目の 大陸間弾道弾保有国に なりました。
中国の台頭に 危機感をもった インドが
また
インド洋にまで 迫ってきた 中国海軍の増強に 対抗するためらしく
アジア全域を
特に 北京 などまで その射程に 収めたそうです。
ああ しかし
世界は どこまで 軍拡を するのかな
なにか 人間の とてつもない愚かさを 感じつつ
現実にも 対応していかねばならないという
歯がゆさも  矛盾も 感じますね。
世界中から 戦争が 武器が なくなることは 無いのかなと 思いつつ
ある言葉が 脳裏を よぎります。
人間の歴史とは。。。。*創造と破壊の歴史でもある*。。。と
たしかに それは 過去の歴史からも うなずける
神様は
人間だけに 英知を 与えてくださった
ソロモン王も
神様に 富と権力ではなく 国を治める英知だけを求め
神様に 大いに 喜ばれたとありますが
その英知が
後世 このような 形になろうとは。。。。。
やはり
人間は いつになっても
バビロンの塔を 求めようとする 悲しい存在なのかと
つくづく 思います。
東京にも
天高くそびえる タワーが 出来たよね
天に それほど 近づきたいのかね。。。。。?

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4月20日(金)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 4月20日(金)10時12分50秒
返信・引用
  「わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。」ヤコブ2:14

信仰は神様の言葉を信じて得られるものですが、ただ言葉だけに終わるなら、信仰が形骸化してしまいます。神様の言葉を信じて、それに自分の生活を賭けること、すなわち“信仰の行い”が伴ってこそ、信仰の結果を喜び味わうことができます。折に触れ、時の応じて与えられるみ言葉を受け流さず、そこで具体的な生活に結び付けようではありませんか。(KE)
 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月20日(金)10時10分39秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.20
ルカによる福音書
◆偽善に気をつけさせる
12:1 とかくするうちに、数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏み
合うほどになった。イエスは、まず弟子たちに話し始められた。「ファリサ
イ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である。
12:2 覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られ
ずに済むものはない。
12:3 だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の
間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。」
****
「パン種」が取り上げられているのは、「ふくらませる」ことから、「誇張
による偽り」の象徴として用いられているからです。偽善的な生き方とは自
分のことを誇張し、より大きく、立派そうに見せようとする心から始まって
います。そういう生き方の仮面はいつかはがされる日がきます。偽善的にで
はなく、誠実に表裏のない生き方をするようにとイエス様は弟子たちに勧め
ています。
どこかでより大きく、立派そうに見せたい気持ちは誰にでもあると思います。
しかし、結局化けの皮がはがれ、恥をかく日がくるのですから、正直に自分
を認め、身の程を知って、自分を生きることが大切なのです。自然体という
のは、そういう生き方なのでしょうね。
祝福がありますように。

++

【癒す言葉:箴言】
◆レムエルの言葉
31:1 マサの王レムエルが母から受けた諭しの言葉。
31:2 ああ、わが子よ/ああ、わが腹の子よ/ああ、わが誓いの子よ。
31:3 あなたの力を女たちに費やすな。王さえも抹殺する女たちに/あなたの
歩みを向けるな。
31:4 レムエルよ/王たるものにふさわしくない。酒を飲むことは、王たるも
のにふさわしくない。強い酒を求めることは/君たるものにふさわしくない。
31:5 飲めば義務を忘れ/貧しい者の訴えを曲げるであろう。
31:6 強い酒は没落した者に/酒は苦い思いを抱く者に与えよ。
31:7 飲めば貧乏を忘れ/労苦を思い出すこともない。
31:8 あなたの口を開いて弁護せよ/ものを言えない人を/犠牲になっている
人の訴えを。
31:9 あなたの口を開いて正しく裁け/貧しく乏しい人の訴えを。
++
王が母から受けた教訓が記されています。
女性との交際に入れ込み過ぎないように、強い酒を飲み過ぎないようにとい
う注意が切々と訴えられている様子が書かれています。
むしろ、王として義務を果たすように、すなわち、弱者への弁護、福祉への
情熱を燃やして民をケアするようにと勧められているのです。
申命記17章には王への警告が書かれていますが、
17:16 王は馬を増やしてはならない。馬を増やすために、民をエジプトへ送
り返すことがあってはならない。「あなたたちは二度とこの道を戻ってはな
らない」と主は言われた。
17:17 王は大勢の妻をめとって、心を迷わしてはならない。銀や金を大量に
蓄えてはならない。
17:18 彼が王位についたならば、レビ人である祭司のもとにある原本からこ
の律法の写しを作り、
17:19 それを自分の傍らに置き、生きている限り読み返し、神なる主を畏れ
ることを学び、この律法のすべての言葉とこれらの掟を忠実に守らねばなら
ない。

とあり、軍備の増強や、大勢の妻、蓄財が戒められています。そして、しっ
かり主の教えを学ぶようにと勧められています。でも、それをしっかり守っ
た王が何人いたのだろうと思います。
それぞれの立場における義務をしっかり果たそうとすれば、当然、さまざま
な自己抑制が必要になります。
神様の力と助けを得て、それぞれの役割をしっかり果たしたいですね。
祝福がありますように。


     関根一夫







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最近 感動していること。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月19日(木)23時46分2秒
返信・引用
  テレビの 金スマ と言う番組の中の
ヘルムートさんの 一人農業 に 感動しています。
この方の お父さんは
現在
奄美大島で ホーリーネス教団の教会の牧師を
されていられるのですね。
それにも 驚きでした。
とにかく
テレビの番組とはいえ
5年以上も 一人農業をされて
畑の開墾から 家畜の世話 家の建築と 幅広く トライされてて
その忍耐力にも 感心させられていますし
このような 田舎暮らしにも あこがれます。

なにより
ヘルムートさんの人柄が いいですね。
素朴 朴訥 ピュアー 誠実 を感じる。(*^_^*) 

http:// 

 

大きくなりすぎた。。。。

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月19日(木)23時16分36秒
返信・引用
  私は 植物全般が好きで 故郷では ガーデニングもしていました
こちら 沖縄に移住してからも それは健在で
アパートの 猫の額のようなベランダで 植木鉢やプランターを使って
沖縄で 調達した 色々な花や 草木を 可能な限り 育ててますが
これが 成長よすぎ (>_<)
だんだん おおきくなって ハイビスカスも オリーブ その他も
アパートで 育てる限界に 近づいてて 今 頭を悩ましています
いくらかは 妻の実家にもっていって 地植えしました。。。。。
このあとも いくつか 妻の実家に また もって行こうと思います
そして
減った分は 挿し木にして 増やしていますよ。
とにかく
植物は 可愛がった分 応えてくれるので とても好きなんです。
土地さえあれば 家庭菜園もしたいですよ
自分達の食べる分くらい 自分で 育てて 作りたいです。
沖縄で 今 羨ましいと思うことは
沖縄に もともと 住んでいて 庭や 家の ある人たちです
車で通りながら いいなーーーーーって 思います。
私たちには それを取得する力は ないので
神様頼みです。(-_-;)
でも
この 与えられた環境に 満足するように してます。

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今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月19日(木)11時00分30秒
返信・引用
  そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。


            第一コリント 15:17

http:// 

 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月19日(木)10時48分4秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.19
ルカによる福音書
11:49 だから、神の知恵もこう言っている。『わたしは預言者や使徒たちを
遣わすが、人々はその中のある者を殺し、ある者を迫害する。』
11:50 こうして、天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、
今の時代の者たちが責任を問われることになる。
11:51 それは、アベルの血から、祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血に
まで及ぶ。そうだ。言っておくが、今の時代の者たちはその責任を問われる。
11:52 あなたたち律法の専門家は不幸だ。知識の鍵を取り上げ、自分が入ら
ないばかりか、入ろうとする人々をも妨げてきたからだ。」
11:53 イエスがそこを出て行かれると、律法学者やファリサイ派の人々は激
しい敵意を抱き、いろいろの問題でイエスに質問を浴びせ始め、
11:54 何か言葉じりをとらえようとねらっていた。
****
自分のことを非難されて喜ぶ人はいないと思いますが、律法学者やファリサ
イ派の人たちも同様で、イエスを目の敵にし、何とか仕返しをしようとさま
ざまな質問や罠を仕掛けるようになり、修復不可能なほどの溝が出来てしま
いました。
イエス様が言われた「神の知識があると吹聴しているけれど、実際は、知識
の鍵を取り上げており、自分もその世界に入ることはできず、人々がそこに
入るのを妨げてい」るという状況を、自覚するのは難しいだろうなと思いま
す。彼らは自分たちの生き方に自信を持っていたでしょうし、知識の鍵を人
々から取り上げてしまっているとは思っていなかっただろうと思います。知
識の鍵とは、聖書の意味を解き明かす知識、神の救いの計画を教えることの
できる知識を開示できる力のことです。
しかし、人を脅し、人を迷わせ、勝手に恵みによる救いを「努力による救い
や奉仕、献金などによる救い」にすり替えて教えている人がいるとすれば、
それらの教師や指導者は、ここで糾弾されている律法学者と何一つ変わりま
せん。そういう人たちの心の奥底には、深刻な神様嫌いの心があり、自己保
身の心があるのです。気づかぬうちに神様より偉くなってしまっているから
です。
指導者のために、牧師のために、どうぞお祈りください。
祝福がありますように。


++

【癒すことば:箴言】
30:29 足取りの堂々としているものが三つ/堂々と歩くものが四つある。
30:30 獣の中の雄、決して退かない獅子
30:31 腰に帯した男、そして雄山羊/だれにも手向かいさせない王。
30:32 増長して恥知らずになり/悪だくみをしているなら、手で口を覆え。
30:33 乳脂を絞るとバターが出てくる。鼻を絞ると血が出てくる。怒りを絞
ると争いが出てくる。
****
言葉遊びのように感じる箇所です。教訓的な内容はあまり多くないように感
じます。
でも、「増長して恥知らずになり/悪だくみをしているなら、手で口を覆え」
という表現は面白いですね。
恥知らずな面は、その軽率で場をわきまえない発言によって明確になってき
ます。手で口を覆ってでも、失言をしないように気持ちを引き締めることっ
て、時々必要だなと思います。
言葉についての用心深さは、昔から、恥を隠し、知恵を示すための重要な教
訓として教えられていたようです。箴言は、最初から最後までそういう知恵
の重要さや思慮深く生きることの大切さを教えています。
今日一日、言葉での失敗が最小限に食い止められますように。
祝福を心からお祈りします。


    関根一夫







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今日の命の水

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月18日(水)22時11分21秒
返信・引用
  ☆ 今日のいのちの水 ☆ 2012年4月18日(水)☆

 ☆ すばらしい神様をほめます!ハレルヤ!☆
 ☆ 神は、あなたを愛し,
        あなたを喜ぶために造られた! ☆

「 安息日をきよい心で守り、わたしの喜ぶことを進んで行ない、
おきてをきちんと守る宦官に、こう約束する。
わたしの家とわたしの城壁のうちで、子だくさんの者が受ける
称賛など比べものにならない、良い名前を与える。 わたしが与える
名前はいつまでも価値のあるもので、決してすたれることはない。
また、神の国民の仲間入りをしてわたしに仕え、わたしの名を愛し、
わたしのしもべとなって安息日をきよく守り、
わたしの契約を受け入れた外国人には、次のように約束する。
エルサレムにあるわたしの聖なる山へ連れて行き、
わたしの祈りの家でこおどりして喜ばせる。
わたしは彼らのいけにえや供え物を受け入れる。 わたしの神殿は
『すべての民族の祈りの家』と呼ばれるようになるからだ。
追放されたイスラエル国民を呼び戻す神様は、
神様の国民イスラエル以外の者たちも集めると告げます。」
         イザヤ56:4-8【リビングバイブル】

主の喜びが、あなたの上に注がれますように。(TH)

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石原都知事の尖閣諸島を東京都が買います発言に 賛同する私

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月18日(水)12時37分41秒
返信・引用 編集済
  石原都知事の
尖閣諸島の民間所有の部分を
東京都が
国に変わって 買い上げたいという
石原さんの メッセージに 大いに 賛同いたします。
国が 中国に遠慮して
表立った行動を 主権の堅持を 出来ないのなら
東京都が買う。。。。
驚きとともに そうだ そういう手もあるのだと 感心いたしました
なんか 尖閣問題での 歯がゆい気持ちが 一掃された思いです
そうです
私は 日本国の なんとも及び腰の 尖閣諸島に対する 主権の行使のなさに
情けなくなって いました。
現実的には
東京都民の税金で これを 買うことになるので
これからの都議会で どのような 採決になるか 知りませんが
とにかく
国に対して 一石を投じたことになります。
これは
革新的な事で
本来 国がやるべきところを 民主政権の 無能ぶりに
愛想をつかして 国に はっぱを かけたのです
石原都知事は
唐突に この行動にでたのではなく
地権者と ずっと長く 根気良く 話し合って おられたとのことで
今回
東京都が もし買うなら それを 許可すると いうことらしいです
東京都の方たちの大半も
国のことを 考えて 賛同する人が 多かったのも 嬉しいし
有志が 寄付金を募り
都政の財政に 響かぬようにとの配慮をし
活動も 考えて いるらしいです。
とにかく
深く読むと
石原氏は
東京都がこの尖閣諸島の一部を 買い上げ
東京都の所有では有るが
いずれ 国に それを譲り
また
沖縄県や 石垣市 とも 連携し
自国の領土である この島に
国民が 自由に 出入りできるようにし
自衛隊なども 駐屯させ
色々な施設を 設置したいとのことでした
このように
中国との 経済の支障になるとか
中国の怒りを買うとか
そのような 次元でばかり 話していると
領土 領海は 侵食されるのです
まず
国家は どんなリスクを犯しても しなければ ならないことが あります
それは
国家の 基本 機軸である
領土領海は どんなことがあろうとも 一寸たりとも 譲ることは 出来ないのです
*小さな島ひとつを 軽視する国家は その国土の全てを失う* と
ある方が 言っていましたが
ほんとに そう 思います。
竹島もそうです
日本の 相手に心使いをする姿勢が
結局
韓国による 竹島実効支配を ゆるしました
北方四島とて
日本の 確固たる姿勢が 執念が 無いために
ロシアに 我が物顔にされています
領土は 人が住んで 施設を作り
実効支配を し続けなければ
なんぼ 歴史的に見て 我が国の領土であると 吠えても
なんのやくにも たちませんし
領土や領海は
世界に 声たかく アピールしなければ 宣伝活動をしなければ
外国にも 浸透いたしません。
今回の 石原都知事の 英断に 脱帽し
国家には このような 毅然とした態度を取ることができる
指導者が 必要だと感じました。
ときどき 石原さんも 滑ることもありますが
今回のことは 大賛成ですし 支持します。

私の 個人的な 見解ですので 気に障るところは お許しを。。。。

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日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月18日(水)11時38分2秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.18
ルカによる福音書
11:42 それにしても、あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。薄荷や芸香
やあらゆる野菜の十分の一は献げるが、正義の実行と神への愛はおろそかに
しているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ
物もおろそかにしてはならないが。
11:43 あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。会堂では上席に着くこと、
広場では挨拶されることを好むからだ。
11:44 あなたたちは不幸だ。人目につかない墓のようなものである。その上
を歩く人は気づかない。」
11:45 そこで、律法の専門家の一人が、「先生、そんなことをおっしゃれば、
わたしたちをも侮辱することになります」と言った。
11:46 イエスは言われた。「あなたたち律法の専門家も不幸だ。人には背負
いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとし
ないからだ。
11:47 あなたたちは不幸だ。自分の先祖が殺した預言者たちの墓を建ててい
るからだ。
***
こういう文章を読むとファリサイ派の人たちの存在がすべて悪者のように感
じますが、実際には彼らの果たした社会的役割の中にはとても優れたものが
ありました。彼らは町で一般の人たちに聖書を教えたいわば宗教教育のプロ
だったからです。しかし、また、だからこそ問題もありました。それは彼ら
は自分たちの教えた内容にふさわしく歩む姿勢が求められていたのに、それ
についてはイエス様の指摘どおり、表面的、外面的な宗教生活に終始してい
た面があるからです。そればかりか、人に重荷を担わせるだけの教えになっ
てしまっていたのです。まるで神は重荷を負わせる神のようなメッセージが
彼らの主張でした。
イエス様は、彼らの理解不足、内面的な力不足を指摘しているのです。もし、
彼らがそれに気づいて、悔い改める気持ちがあれば、彼らは本当にすばらし
い教師としての役目を果たせたのだろうと思います。残念ながら彼らはイエ
ス様の指摘に腹を立て、悔い改めるどころか、権力にものを言わせてイエス
様を殺すことを計画するのです。彼らの内側の問題、神の真理への反抗心の
深刻さが浮き彫りにされてしまうことになります。
わが身に置き換えて、しっかり学ばねばと思います。私の内側にもファリサ
イ派の人と同じ種類の問題が存在しているように感じます。
祝福を心から祈ります。


++

【癒すことば:箴言】
30:24 この地上に小さなものが四つある。それは知恵者中の知恵者だ。
30:25 蟻の一族は力はないが/夏の間にパンを備える。
30:26 岩狸の一族は強大ではないが/その住みかを岩壁に構えている。
30:27 いなごには王はないが/隊を組んで一斉に出動する。
30:28 やもりは手で捕まえられるが/王の宮殿に住んでいる。
*****
こういう例えは面白いですね。知恵者として蟻、岩タヌキ、いなご、やもり
が挙げられています。
観察してみれば、確かに、言い当てているなぁと思います。なんだかイソッ
プ物語に出てくる話しのようにも思いますね。こういう風に説明したり、こ
ういうわかりやすいたとえを話せる人こそ、知恵者なのでしょうね。実にう
らやましい限りです。
最近、身近に起こったことで気づかされた真理ってありますか?
祝福がありますように。


     関根一夫








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4月18日(水)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 4月18日(水)11時04分18秒
返信・引用
  「この民の前に出入りすることのできるように今わたしに知恵と知識とを与えてください。」歴代下1:10

ソロモンが王となった時、神様は「あなたに何を与えようか、求めなさい」と言われました。彼は正しく国を治める英知を求めました。国王として強力な軍隊や豊かな産物など求めたいものはたくさんあるでしょうが、彼は自分にとって何が最も必要なものであるかを知っていました。このことは神様のみ心に適って喜ばれたのです。主は何を与えようか、求めなさいと言われます。あなたは今なにを求めますか。(KE)
 

日々の聖句

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月17日(火)20時33分45秒
返信・引用
  今日の聖句
2012.04.17
ルカによる福音書
◆ファリサイ派の人々と律法の専門家とを非難する
11:37 イエスはこのように話しておられたとき、ファリサイ派の人から食事
の招待を受けたので、その家に入って食事の席に着かれた。
11:38 ところがその人は、イエスが食事の前にまず身を清められなかったの
を見て、不審に思った。
11:39 主は言われた。「実に、あなたたちファリサイ派の人々は、杯や皿の
外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている。
11:40 愚かな者たち、外側を造られた神は、内側もお造りになったではない
か。
11:41 ただ、器の中にある物を人に施せ。そうすれば、あなたたちにはすべ
てのものが清くなる。
****
外見や形式的なことをことさらに重んじ、その内容やあり方、生き方そのも
のを吟味することを怠っているファリサイ派の人に向かってイエス様は厳し
い非難の言葉を語ります。
本来は、彼らが一般民衆に教えるべき内容であり、生き方であるべきものだ
ったからです。
彼らについて、「杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意
に満ちている」とイエス様は語りました。
内側を整え、自分の器の中から、それを必要としている人たちに施しをする
ような心こそ、神に喜ばれる清い生き方であり、神に喜ばれる清い心なのだ
とイエス様は教えたのです。
このあとも、厳しい言葉が続きます。まるで自分に向けられているような迫
力ある言葉ですので、じっくり読んでいきましょう。
祝福がありますように。

+++

【癒すことば:箴言】
30:18 わたしにとって、驚くべきことが三つ/知りえぬことが四つ。
30:19 天にある鷲の道/岩の上の蛇の道/大海の中の船の道/男がおとめに
向かう道。
30:20 そうだ、姦通の女の道も。食べて口をぬぐい/何も悪いことはしてい
ないと言う。
***
これまた、なぞに満ちた驚きをもたらし、知りえぬ事柄が書かれています。
そうだよなぁとうなってしまうような内容です。
しかし、こう考えると、この世界ににも、私たちの人生にもわからないこと
ってたくさんありますね。どうなっているのだろうと興味を示したところで、
なかなかその内容はわかりません。まさに、神秘的でもあります。でも、こ
こでも不思議なは、男性は純情な感じで書かれていますが、女性はかなり大
胆な悪女のような書かれ方をしています。
人生には不可解なことがあります。
今日も、祝福がとどきますように。


    関根一夫







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4月17日(火)の聖言

 投稿者:mari  投稿日:2012年 4月17日(火)09時16分45秒
返信・引用
  「彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから助け出し、住むべき町に行き着くまで、まっすぐな道に導かれた。」詩篇107:6-7

悩み苦しみなど、試練にあうとき、パニックに陥り、常軌を失い迷い出てしまいます。そのようなとき、先ずすべきことは神様に祈り求めることです。主は真実な方ですから、必ず応答してくさいます。そればかりか、なすすべもなく、途方に暮れる者を懇ろに導いて、目的の地に案内する者のごとく、最後まで守り導いて下さいます。遠慮なく、大胆に主を呼び求めましょう。(KE)
 

今日の聖書

 投稿者:ヨハネの洋チャン  投稿日:2012年 4月16日(月)22時33分50秒
返信・引用
  イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。


                      ヨハネ 11:25

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